『山のむこうは青い海だった 』 今江祥智

「鶴は南へ飛ぶ――息子の次郎より」と母宛の手紙を残して、母の郷里(父のお墓がある)へ旅に出た中学1年生の山根次郎。
自立の旅のつもり。父の墓参りが、「ピンクちゃん」(恥かしがり屋で、すぐ赤くなるから)と呼ばれていた彼を変えるきっかけになるはずだった。
嘗て、離れを借りて家族で住んでいた知人の家に泊めてもらい、幼馴染の昭代や、地元の中学生、花火職人のおじいさんと出会い・・・
そして、事件に巻き込まれる。

のんびりとした語り口と長新太の挿絵がぴったりあった、ゆったりした世界です。
突然訪ねて来た知人の息子に、わけも聞かず泊めてやる安部家の人々は、五十年前の日本では、もしかしたらそれほど奇異ではなかったのかもしれない。自然体のもてなしをすんなりと(ある意味なつかしく)受け止めました。
でも、やはり、この景色は古いなあ、という感じがすごくしました。
人とのかかわりや、母親の子を思うことばは、このちょっと現実離れしたのびやかさの中でさえ、読んでいて、なんだか照れてしまいました。

母親と次郎の関係の中になんとなく、ケストナーを彷彿とさせるものを感じました。
しかし、次郎は、死んだ父を、尊敬をこめて何度もふりかえるのです。
墓の前で、おまいりするでなく、
――話しとった、と次郎は言うのです。
幼い日の父の思い出をふりかえりつつ、「母さんはできたらヒゲを、それもきっと父さんみたいなのをはやしたい、と思っていたにちがいない。次郎は本気でそう思った」
そして、次郎の高杉普作へのあこがれにつながっているような気がしました。

終盤の盛り上がり、地元(南紀のある町)の中学生たちと次郎たち大阪の中学生たちが団結しての捕り物劇は「エーミールと探偵たち」を思い出しました。
(ただ、ここで、指揮をとるのが、先生だというのが、日本的、かな)

爽やかで、すがすがしい冒険。みごと一皮向けた次郎に拍手を送りながらも、
この作品の中にちらりちらりと顔をのぞかせる六十年代の日本の暗い一面。
だからこそのすがすがしい冒険、と思うと、作者が見せてくれる山のむこうの海はなおさらにきらきらと光って見えるのです。