火を喰う者たち

火を喰う者たち火を喰う者たち
デイヴィッド・アーモンド
金原瑞人 訳
★★★★


1962年・・・
あとになって聞いた「キューバ危機」は、私にとっては、暗記すべき一項目にすぎませんでした。
ただの単語でしかなかった言葉が、
この時代の人々にとっては、こんなにリアリティを持ったものすごく大きな不安と恐怖だったんだ。
人々は世界の破滅と紙一重のぎりぎりの緊張感の中にあったのだと。
第二次大戦が終結したのが1945年。わずか20年弱。
戦争を体験し、心に深い傷を負った人々にとってはまだまだ生々しすぎる日々と、新たな戦争の恐怖、
たった今核爆弾のスイッチが押されて、この瞬間に世界が終わってしまっても不思議ではない緊迫感の日々。
その黒々とした不安が手に取るように描かれます。


舞台はイギリスの炭鉱のある海辺の町。貧しい町です。
寄り添いあってささやかに暮らす人々。
主人公ボビーは試験に合格し、エリート(上流階級)たちが通う中学校に通い始めます。
ある日、ボビーは、狂った火喰い男マクナルティーに出会います。
マクナルティはなぜ自分の体を傷つけ、火を喰うのか。そうしないではいられないのか。


第三次世界大戦一触即発の不安。おとうさんの健康状態への深刻な懸念。
残酷な教師たち。
自分たちの貧しさをさげすむように見る階級の者たちを意識すること。
ボビーの12歳の秋は、このような押しつぶされるような不安に苦しみつつ始まりました。
そして、自分のからだを傷つけずにいられないマクナルティーに惹かれ、その気持ちに同化していく。
タイトルは火を喰う者たち。「火」が象徴するものはなんでしょう。
見えない火を喰っていた人たちはきっとこの国の中に大勢いたにちがいないのです。


ボビーのおとうさんの言葉が心に残ります。
たとえ何にもならないとわかっているようなときでも、間違いは間違いだと声をあげることは正しいのだ、という言葉。
特に勝ち目なんてほとんどない、まるで暗闇の中で叫んでいるような気がするときには。

>おれたちのような労働者階級の人間が勝ちとってきたすべてのものは、それを手に入れるために闘ってくれた連中がいてくれたおかげなんだ、ボビー・バーンズ。こびず、へつらわず、ただまっすぐに圧制者の目を見つめて、世の中間違っていると声をあげた闘士のおかげなんだ。そのことを忘れるな。しっかり覚えておけ。おれたちはこれからも闘いつづけなくちゃならんということを。
そしてボビーは決心をします・・・クライマックスに向かって走り出します・・・


暗く苦しいできごとは残酷で、鈍い響きのよう。
同時に、ボビーの祈り、ボビーをめぐる人々の暖かさが、まるで星のように美しいのです。
祈りの場面がこの本の中でたくさん出てきました。
学校で、教会で、テレビの画面の中で、人々は祈ります。
けれども、何より美しい祈りはボビーやボビーの父母の祈りでした。
↑の、ボビーのおとうさんの言葉の意味するものと、素朴で深い祈りは、いつか奇跡を呼び起こすのかもしれない、と信じさせます。
反戦、というよりも、一人の人間が生きるために大切なことはそういうことなんだよ、と教えられているような気がします。


そして、この貧しい町のあるこの地方の自然の美しさが目にしみるようなのです。
この美しい背景の中での不気味なマクナルティーの残酷なショーは、残酷というよりも、ただただ切なくて。


田舎の労働者階級の人々がつかう言葉、方言でしょうか。
どれほどに清清しく素敵な役割を果たすことか。
なんともいえず嬉しく暖かい響きでした。


  >あいよ。


素晴らしい物語でしたが、最後の章については、実は複雑な気持ちです。
ほんとにそこで戻るのか、という気持ちがなくもないからです。