『西欧の東』 ミロスラフ・ペンコフ

 

西欧の東 (エクス・リブリス)

西欧の東 (エクス・リブリス)

 

 

体制が移り変わり、社会も経済も混迷する。
貧富の差。差別。
隣国との国境が変わる。一つの村が、そのまんなかを流れる川を挟んで二つに分けられ、別の国になる。
川を渡ろうとすれば、容赦なく銃殺される。
人々は改宗を迫られ、名前を変えられ、従わなければ殺される。子どもは連れ去られる。
希望し、抽選に当たった人たちは、学ぶため、働くため、良い暮らしを求めて、アメリカに移住する。
これらの出来事は、収録の八つの物語の背景で、ブルガリアの近~現代に、もちろん、実際にあったことなのだろうな、とぼんやり思っている。
別々の国の話か、と思うくらいに、起きているできごと、柱になりそうな考え方、感じ方、宗教や主義、価値観、何もかもばらばらで、八つの作品それぞれを読み始めるたびにまず、戸惑う。
とはいえ、登場人物たちの声を聴いていると、これが、遠い国の物語であることを忘れそうになる。
人々は憧れ、夢をみ、夢破れ、恋をし、家族を思い、家族に苦しみ、家族を恋いしがり、生きている。暮らしている。
彼らは、わたしのそばにいる。彼らの暮らしをわたしの祖父母も暮らしてきたのではないか、と思う。
そのときどきの社会のありようは、暴力になって、主人公たちの人生を横からひっかきまわす。
まるで災害や突然の病気みたいに。


救いのない状況、どうしたって楽観できるはずのない状況に主人公たちはいる。
しかし、文章には、じめじめした暗さはない。
物語には、あちらこちらに、ちいさなユーモアがちりばめられている。
ときには、八方塞がりの日々が、そのままおかしくさえ感じられる。
もう駄目だ、と思うときに、ちょっと離れたところから、自分自身を観察する余力があるような、そんなユーモアだろうか。
ここに笑うべきことは何もないだろう、と思うところで、ふと浮かぶ笑みもある。
そうしたユーモアのかけらたちが、頑ななものを、ゆるめ、溶かしていくように感じる。


マケドニア』の、食べかけのりんごに刺さった小さな歯。
『西欧の東』で、「こんなにいい気分だったことはないよ」と言わせたもの。
レーニン買います』の、祖父と孫のぽんぽんした押収。最初から最後まで辛辣な言葉に籠る、決して言葉にならない相手への思い。変わらないものと、どんどん変わっていくものとが、あの、とぼけたけなし合いのなかにおさまっている。
『デブシルメ』の、激しい風のなかで、泣き声が笑い声に変わっていくこと。


そして、八つの作品のなかには、入れ子の物語がある。
文字で書かれた物語もあるけれど、明確に書かれていない物語もある。
それらは、言ってみれば、神話のようなものであり、おとぎ話のようなものであり、詩のようなもので、見え隠れするそうした物語が、一篇一篇の作品を多層的にしているようだ。
奥のほうに静かな空間がある。ほのかに明るい空間、と思う。