運河に面した美しい田舎町ナスコールのお祭りの催し物として、ナス屋敷の当主とその友人たちは、広い敷地を活用した犯人捜しゲームを主宰する。
1人の女性が絞殺死体でみつかる、という設定で、犯人の残したヒントを頼りに、庭をめぐりながら、隠された手がかりを探し、真犯人に辿り着いたらご褒美をあげよう、というゲームで、オリエンテーリング的な要素もあるかも。
このゲームの筋書きを書いたのが、ボアロの友人(?)にして有名探偵作家アリアドニ・オリヴァ夫人であるから、おもしろくないはずがない。
と、ここまで読んで、思い出したのが、以前読んだ、クリスティーの短編<a href="https://www.honzuki.jp/book/104856/review/283406/">『マン島の黄金』</a>。こちらは本当に行われた参加型宝探しゲームで、マン島(イングランドとアイルランドの中間くらいにある)に隠された宝を、参加者たちが、クリスティーの小説に仕込まれたヒントを頼りに、探し出すゲームだった。
そして、こちら『死者のあやまち』は長編小説だけれど、やはり、本当にこんな企画があったら、さぞ面白いだろう、と思いながら読んでいた。
ところが、祭りの当日、ゲームの死体役の少女が、本当に絞殺死体で発見されてしまうのだ。いったいなぜ? そして犯人は誰なのか。
屋敷に集う人々は、当主夫妻にしろ、その友人たちにしろ、個性的で、訳ありで、行動がいちいち胡散臭い。
おまけに当主の夫人が、祭りのさ中(殺人があった頃あいに)忽然と姿を消してしまう。
アリアド二・オリヴァの脚本から始まった物語だけれど、そもそも、この脚本を書きながらオリヴァさんは、漠然と何かがおかしいと感じている。何かにあやつられているような気がしている。
始まりからすでに、日常から遊離したような感じの、この事件。事件全体が、その背景まで含めて、祭りの余興の一幕の舞台のようだと感じる。
どの騙しも、なんだか芝居掛かっている感じだ。
殺人が起こり、苦い幕引きであったとしても、祭りだな、芝居だな、と。
旧家の広大な庭は、森や川、船つき場を擁し、芝生の広場には個性的なあずまやがある。
祭りのテント、ゆれる提灯。土地の人や観光客など大勢の人々が集い、なんて賑やかに、盛り上がっていただろう。