『鶴/シベリア物語』 長谷川四郎

 

編者が「解説」で、
「(長谷川四郎の文業の)その核心のところは、この一冊でほぼ窺えるでしょう」
という、作品集である。
Ⅰ(戦中、大陸)、Ⅱ(シベリア虜囚時代)、Ⅲ(戦後)に分類された短編小説と、七編の詩。たぶん作者の体験が底にあるためだろう、連作とまではいえないものの、それぞれの作品は、互いに行き来するところがあるように感じる。


Ⅰ部は、『張徳義』『鶴』『選択の自由』『赤い岩』の四編。
戦争の真っ只中ということを忘れてしまいそうな、大陸の広大な風景が印象的だ。長閑な風景に思える。単調な平原に『鶴』の白が、目に焼き付く。
『赤い岩』の一節「自由を欲する人間がなぜ殺されなくてはならないのです?」が、全編に覆いかぶさってくる問いかけに思える。 自由という言葉がひたすら眩しかった。


Ⅱ部は、シベリア抑留者たちの日常(?)を描いた『シルカ』『掃除人』『ラドシュキン』『ナスンボ』の四編。
奴隷のような日々に、弱音、後ろ向きな言葉が一切ないので、読みようによっては、それこそ牧歌的ともいえそうだ。
現地の人たちとの交わりが、淡々と描かれるが、極貧の人々の暮らしは、捕虜たちよりも厳しいのではないか、と思えるほど。
捕虜たちに対する侮蔑の言葉を当たり前に降らせる人びとのなかに、そうではない人が混ざっていることが印象に残っているシベリア。
「そうです、あの人は日本人ですよ。それがどうしたのです?」


Ⅲ部は、『林の中の空地』一篇のみ。復員後の戦後を、市営団地で静かに暮らす男の元に、厚生省より、未帰還者の消息調査の依頼状が届く。大陸での、封印したくてもできない記憶がまざまざと蘇る。


編者は「解説」で、このように書いている。
「作者は、おのれを被害者とみることを徹底して禁じている。」
「……被害者の泣き言物語を一行たりとも書く気がしなかった」
「加害者としての懺悔も禁じている。謝ってすませようとめそめそして見せるのは、裏返しの被害者意識かもしれません」


繰り返されるモチーフは、色を変え、形を変え、重ねられていく。
戦争の奴隷に変えられてしまった人たちの姿が目に焼き付く。自由というものがこの世にあったことさえ忘れてしまうほどに押しつぶされた人たちの姿。
読み終えて、改めて、茶色の平原のなかにただ一羽の白い鶴の姿(『鶴』より)、ぼうぼうの髪と髭の間から覗く青い目(『赤い岩』より)、それから、騎乗で去っていくモンゴルの人の姿(『ナスンボ』より)などが、浮かび上がってくる。