『ルイジンニョ少年』 かどのえいこ

 

先日読み終えた『イコトラベリング1948-』は、1959年、23歳のイコがブラジルに向かう船の上で終わっている。
その後 ブラジルで暮らした二年間の物語が、この本『ルイジンニョ少年』。角野栄子さんのデビュー作でもある。1970年に書かれたが、しばらく品切れだった。2018年に復刊されたこの本には復刊版のあとがきも添えられている。


ルイジンニョ少年は、ブラジルでエイコがお世話になった下宿先の9歳の男の子ルイス。なまえの下につけるジンニョという言葉には、かわいい小さな子というほどの意味がある。
ルイジンニョは、エイコのブラジルの言葉(ポルトガル語)の先生だった。かわいい小さな子というよりは、したたかなやんちゃ坊主だった。エイコを親や教師を欺くために利用しようとしたこともあるが、エイコの手をひいて、大人の案内では見ることのできないブラジルをたくさん体験させてくれた恩人でもあった。


ブラジルには、「白と黒、きいろと白の混ざった顔、ちゃいろ、黒ちゃ、ルイスのように白ちゃと、いろんな人がいる」
「そして、その人たちのあいだには、なんのわけへだてもないのです」という言葉が、なんて楽しげに書かれていることか。


少年は、広場を走る路面電車の支柱に外からぶら下がって、地面にお尻をずりそうになりながら無賃乗車で行く。青空市場の店からバナナを一本くすねる。
「ああっ、いけないんだ」と言いたくなるあれこれに、叱りながら、苦笑しながら、許してしまうような町だ。


角野栄子さん自身の物語ではあるけれど、すべてがありのまま、というわけではない。「復刊版あとがき」に「……いろいろ書き分けて、物語を複雑にするよりは」という理由で、本当のこととは違うように書いたところがあるそうだ。
私が先に読んだ「イコトラベリング1948-』と矛盾する記述もある。
細かいことを心配しないで、おおらかに物語を味わう。町の匂いを吸い込み、少年のしたたかさを楽しむ。
物語はカルナバルの場面で終わる。賑やかな太鼓やタンバリンが胸に響いている。
サンパウロの町の熱気が、人(とりわけ子ども)の姿になる。打楽器のリズムになる。