『恥さらし』 パウリーナ・フローレス

 

九つの短編。
チリで長く続いたピノチェト政権の後の時代の物語である。巷に漂う、頭を押さえつけられているような圧迫感は、長く人びとをしばってきた保守的でマッチョな空気の余波だろうか。
九つの物語は、子どもを語り手にしたものや、子ども時代の回想が重要な役回りをするものが、多くあって、そのせいだろうか、わたしは、物語の遠く近くから感じられる性的暴力(裏切りも含む)の気配が気になった。そういう場面が露骨に描かれるわけではないが、あちらこちらで、これはたぶんそういう意味なのだろう、と思ったりする。また、実際に主人公やその周辺のだれかが被害を被ることはないけれど、遠くで起こっていることが波紋みたいにゆっくりと伝わって、いまここが、居心地の悪いことになっている、というような。


表題作『恥さらし』をはじめ、語り手たちの多くが、恥の気持ち、悔恨や罪悪感を感じている。理不尽だ。そういう気持ちを持つ彼ら、みんな揃いも揃って、なにかの「被害者」である。当然、罪悪感や悔恨の気持ちを持たなければならないのは加害者のほうなのに。
被害者たちは子どもで、その無邪気さを利用されて、深く傷つき、いつまでも引きずらなければならない。


短編だから、行間や前後を想像するしかない物語が多く、ときどき置いてきぼりを喰わされる。
ファンタジーではもちろんないし、マジックリアリズム的な場面はひとつもない。どこにでもありそうな風景や出来事の羅列が、非現実の物語よりも謎めいていて、不思議だ。物語の煙に巻かれながら、あの場面この場面が、物語のなかから浮かび上がって、謎の風景画になって心に残る。
なかでも、『テレサ』は、謎の部分が多い物語だった。登場人物の境遇も、本当は何が起こっているのかも、何もわからないまま。にもかかわらず、わたしは、この物語が一番好き。
その子の手を引いて、そのドアの向こうに軽やかに駆けて行け。
九つの物語のなかに住んでいるあの子たちのなかで鬱屈しているその部分だけを、まとめて取り出して、一緒に連れていくようだ。
解放の物語に思える。