『グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル』 ベン・モンゴメリ

 

アパラチアン・トレイルは、ジョージア州グルソープ山頂から、メイン州カタディン山の最高峰バクスター・ピークまで、13の州にまたがる3300キロの、アメリカでは一番距離の長いトレイル(登山道、遊歩道)である。(1955年当時)
1955年5月3日、67歳のエマ・ゲイトウッドは、オグルソープ山の起点から歩き始めて、9月25日にバクスター・ピークの終点に到達した。出発してから146日かけて歩きとおしたのだった。
トレイルの全行程を制覇したスルー・ハイカーとしてはエマが初めての女性であったこと、高齢であったこと、しかもこれまで山歩きをしたことがない人だったことなどから、全米の話題をさらった。
手作りの布袋に詰めた荷はわずか五キロ分。寝袋も持たなかった。履きつぶした七足の靴は、ゴム底のスニーカーだった。
ハイキングというにはあまりに急峻な登山が多く、要所ごとに設置されているはずのシェルターはすでに廃墟だったり使えなかったり。森の中や、岩の上で眠ることは何度もあった。
途中、親切に自宅に泊めてくれる人もあったが、けんもほろろに追い返されたこともあった。
二度のハリケーンをやりすごし、洪水に足止めや回り道を強いられた。ガラガラヘビなどの毒蛇に道をふさがれたこともあった。
途中から、エマがここで何をしているか、新聞が知ることになり、記事になり、一躍、アメリカ中で最も有名なグランマになるが、行く先々に待ち受ける記者たちに救われたり悩まされたりすることになる。


著者は、エマの足取りを着実に追っていくが、それと同時進行で、エマのこれまでの人生も少しずつ振り返っていく。まるで、ミステリのように、彼女が負った深い傷、あるいは戦い抜いた証へと進んでいくのだ。
彼女は、夫のひどいDVに彼女なりのやり方で戦いながら、11人の子どもを育て上げたひとだった。
夫のDVは本当にひどくて、そのうえ世間に対してはあまりに狡猾で、とても戦いなど挑めるものではなかった。だけど、エマの人生を読んでいると、おびえてすくんでいる感じはまったくないのだ。歯を折られ、骨折させられ、命の危険にさらされることは何度もあったのに、彼女の人生は「戦い抜いた」という言葉が似合うように思う。(そして、勝利した、いいえ、勝負は最初からついていたのかもしれなかった)


この本の著者自身も、それから、当時エマにインタビューした記者たちも、「なぜ(あなたはトレイル走破に挑戦するのか)」と問いかける。
何度も何度もの「なぜ」という問いかけを読みながら、むしろ、なぜ、そんなにも「なぜ」を知りたいのか、ということがちょっと不思議に思えてきた。
これが若い人の挑戦だったら、ここまで「なぜ」とは尋ねられなかったのではないか。高齢であること、女性であることが、なぜ、という疑問に結びついている。本当はその答えこそ、高齢であること・女性であること、ではないだろうか。
この歳になるまで、自分の思い通りの生き方ができなかったことが。


エマのトレイル走破は、達成ではなく、スタートだったということが素敵だ。一度きりで、彼女は気がすんだりはしなかったのだ。
本の扉には著名人たちの引用句が三つ。一番最後のは、エマ自身の言葉。
「歳をとるにつれて速くなる」