『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』 レイチェル・ジョイス

 

ハロルド・フライに一通の手紙が届く。
ハロルドの嘗ての同僚クウィーニーは癌で、死にかけていた。これはさようならを言うために書かれた手紙だったのだ。
彼は返事を書いた手紙を投函するために家を出るが、ポストに到着しても、この素気ない手紙(しゃべることも書くことも彼は苦手だった)を投函することをためらってしまい、次のポストまで歩くことにする。そうして、さらに先へ……。
途中、あることをきっかけに、彼は、このまま歩いてクウィーニーのところまで行こうと決心する。彼が歩いている間は彼女は死なない、と心に決めて。


ここで、表紙見返しのイングランドの地図を見る。ハロルドの住まいはイングランド南西端の小さな町で、クウィーニーのいるホスピスは、最北端のベリックという町。距離は一千キロあまり。
着のみ着のまま、携帯電話さえ家に置きっぱなし。普段、散歩さえしない初老の男が、無謀としかいいようのない決断だ。
次々に起る思いがけない出来事。出会い。中断せざるをえないような事態にも何度も出会いながら、結論を言えば、歩きとおしたのだ。八十七日間かけて。


車を捨てて、歩いていれば、景色以上のことが見えてくる、という。
クウィーニーのこと、それから他人のようになってしまった妻モーリーンのこと、家から出て行った息子デイヴィッドのこと、自分の両親のこと、そして、自分自身のことを振り返り、考える。
一方、残されたモーリーンも、最初は激怒するが、やがて来し方について、さまざま考え始める。
彼らの過去が小出しに語られれば、徐々にその姿が(見たくないものまで含めて)見えてくるが、いまだに、容易に触れることができない出来事があることもわかってくる。


歩くハロルドと、止まっているモーリーン。
だけど、読んでいるうちに、見えない靴を履いて、二人、やっぱりともに歩いているのではないか、と思えてくる。
傍らにいる相棒の姿は見えないが、やはりともに歩いているのだ。痛む心をひきずって。
さらには、ベッドの上に横たわって待つあの人も、歩いていたのだ、と気がつく。
日常を振るい落としながら、これ以上ないほどにシンプルになっていくと、頭の中からも余計なものがふるい落とされていく。
残っていくのは何だろう。
そして、この本を読むわたしも、歩いていることに気がつく。
右足を出したら、その前に左足を出して、一歩一歩。


こうして歩いているうちに、もうそれだけでいいような気がしてくるのだけれど……。けれど。
ここまでこられてよかった。