『火山のふもとで』 松家仁之

 

「高度成長期の波にも流されず、わかりやすい自己顕示欲とも無縁のまま、質実で、時代に左右されない美しさを持つ使い勝手のよい建物」
村井俊輔は、そういう建物を生み出してきた建築家だった。


居心地がいい……
それは、村井俊輔の建物が、だろうか。それともこの物語が、だろうか。
建物を生み出すことと、物語を生み出すことは、よく似ているのかもしれない。
もしかしたら、作者は、自分の物語の様をある建築家(たち)をして、建築になぞらえて語らせたのかもしれない。


浅間山の麓の「夏の家」に、例年と同じように、この夏も村井設計事務所はその事務所機能を移転した。
都会から離れての数人の所員の共同生活は、穏やかに過ぎる。どこかストイックな雰囲気もある。
ここで起こる物語は閉じた世界だ。そのはずなのに、同時に解放感もある。
それは、先生――村井俊輔が建てたこの「夏の家」によく似ている。
この家は外気(温度も景色も、気配も)が通り抜ける大きな窓をもっている。


事務所が今、取り組んでいるのは、あるコンペのための国立図書館の設計プランだ。
その傍らで、一つの恋が静かに、でも危なっかしく進行している。このあたり、描き方によってはどろどろしたものになったかもしれないのに、そうはならない。風が通り抜ける大きな窓のせいだ、きっと。


先生は設計のかなり早い段階から、その建物に相応しい家具も考える。
「細部と全体は同時に成り立ってゆくものなんだ」
これも、この物語そのままだ、と思う。
先生が嘗て設計した建築物のこと、それから、ライト、アスプレンドなど、先生が影響を受けた建築家たちの建築について、微に入り細に入り描かれているのも、この本の中の大きな窓から見える外の風景であるし、同時に、物語の大筋に対する、生きた「細部」として、物語を支えている。


語り手「ぼく」が思い出す小学校の図書館のことを「まわりに気がねなく、ひとりでいることができる場所だった」と言ったこと、それに答える先生の言葉も感慨ぶかい。
「本を読んでいるあいだは、ふだん属する社会や家族から離れて、本の世界に迎えられる。だから本を読むのは、孤独であって孤独でないんだ」
この物語が、閉じられているようで、同時に開けているのは、たぶん、こういうことなんだと思う。
閉じた世界に入っていくように見えながら、実は別の大きな世界が開かれているのを確認するような、これはそういう本だな、と思う。
窓はひとつではなくて、あちらにもこちらにも…
先生が設計した図書館の姿は、この物語の全体像と重なる。


この物語は、(人生を)静かにゆっくりと閉じていく物語だと思う。閉じ方の毅然とした美しさは、実は閉じたとみえて、どこかで外に開かれているものだ、ということを同時に知る。
物語の中で、登場人物のひとりが言う「古い家はいいなあ」が心に残る。
「木の油がすっかり抜けて、軽くなった感じがして」