『鏡の花』 道夫秀介

 

 

ちょっと前に読んだ『短編少女』に収録されていた『やさしい風の道』はちょっと気になる短編だった。小学生の少年とその姉がバスに乗って出かけていくのだが、この二人っていうのが実は……。びっくりした、というより、はっと息を呑むようだったのだ。それのせいで、この物語がとても印象に残っていた。
短編として載っていたこの作品、『鏡の花』の第一章だったと知って、ああ、だからか、と思った。少年少女のほかに登場する人が、ほんの脇役にしては大きな存在感だな、と感じていたから。
何よりも少年少女のことをもっと知りたくて、この本をいそいそと手に取った。


『鏡の花』は七つの物語がゆるやかに繋がり、七章めで、一つの花になるような連作短編集だった。
おもな登場人物は、十人。大人や子ども。物語の間には、静かな時間の流れがあり、成長し、家族構成が変化していく。
のだけれど、それだけではない。
一章の、たとえば少年少女の来し方や現在の状況が、次の章では微妙に変わっている。こちらで起こったはずの事故が一方では起こらず、こちらになかった事件が一方では起こっている。
パラレルワールド、と思えばいいのだろうか。
ちょっとしたはずみで、何かが起きたり起きなかったり。その後の関係者たちの人生をすっかり変えてしまう。
章ごとに、よく似た状況で、起きた事や起きなかった事、あるいは別の出来事になってしまっている様子などを読む。
繰り返しではない繰り返しの物語を何度も読んでいくうちに、共通の登場人物たちは、すっかりおなじみになってくる。
実際、ボタンの掛け違いのようなちょっとしたことで、この少ない登場人物のうちの誰かが、その物語の中では、いなくなる。お馴染みの人の不在が、こんなにも寂しい。なぜあそこで…と、取り返しがつかない思いが湧き上がってくる。登場人物たちの喪失感が、ひしひしと伝わってくる。
どんな出来事に遭遇しても、ああ、この人ならやはり、こんなふうに考えるだろう、こんなふうに行動するだろう。こんなことがおこったとしても。
そう思いながら読んでいる。
何がおきてもおきなくても、変わりないのは、その人がその人である、ということだ。その人がかけがえのない一人だということだ。
信頼できない風景の中で、信頼できるものが立っている。
そういうことが私には大切に思えた。