『シカゴ育ち』 スチュアート・ダイベック

 

 

訳者あとがきによれば、ニューヨークの愛称がビッグアップルであるように、シカゴといえばウィンディシティ、風の街なのだそうだ。
ああ、風。この短編集を読むことは、自分がひと吹きの風になり、町を渡りながら、あたこちの風景に触っていくような感じだ。


あちらの窓では、お腹に子を宿して帰ってきた大学生が凄い勢いでピアノを--ショパンを弾いている。
こちらでは、刑務所の塀の外で(中のどこかにいるはずの)兄に向かって呼びかける若者がいる。
壜の蓋をコレクションする少年がいて、ミサの折に必ず失神する女性がいて、どこかの製氷室には若い女性の死体が氷漬けになっているかもしれなくて、夜の街を、荒廃地域を、鷹のように失踪する若者がいる。
珠玉の一枚といわれるとき、珠玉の中身には注意が必要だし、荒廃(blight)地域は「彼ら」にとっては陽気(Blithe)地域であったりもする。
数えきれないほどの一場面一場面が、読み終えた後に蘇る。それらの場面のまわりにはさまざまな風景があり人がいて、ドラマがある。時にはミステリアスに反転し、時には言うに言われぬ余韻を残して。
そして、これらのドラマの外側にあるもっと大きな物語も想像できないこともないのだけれど、そこはそこ、だって風のひと吹きだ。あえて詮索しないで立ち去ってみたい。


それでも、ちょっと……
帰ってきた大学生は、同じアパートの下の部屋の男の子に声をかける。「前に夜泣きしていた坊やはあなたかしら」そして「……よく思ったわ。ほかのみんなはぐうぐういびきをかいているのに、あなたとわたしだけ夜中に起きているんですものね」
真夜中に下の階の子どもの泣き声に耳をすます少女のこと、気になって仕方がない。なぜ眠れなかったのだろう。何を考えていたのだろう。本当はどんな気持ちで泣き声を聴いていたのだろう。もう大きくなってしまった彼女だけれど。


犬、猫、兎、鳥……「あたしは絶対に名前をつけないの。人間には動物の名前なんてわかんないもの。名前っていうのは、人間が匂いの代わりに使うものなのよ」
そうか、匂いなんだね。動物がこちらを丹念に嗅ぐとき、名前を呼んでくれていたんだね。


「街灯の高みから雨は落ちる。一滴一滴が、それ自身の青い電球を含んでいる」
田舎には田舎の、都会には都会の、雨の情景がある。これは都会の美しい雨だと思う。


最後の短編「ペット・ミルク」では、語り手の「僕」が彼女と一緒に列車の車掌室にこっそりこもっている。駅を通過するときだけ、キスを中断して外を見ている。ホームの人、人、人のなかで、煙草をくわえた高校生が「僕」たちに気づき、にやっと笑って手を振る。
私は風になって、ほとんど止まっているシカゴの街をふきぬけているつもりだったのだけれど、そうではなかったのかもしれない。
私は、煙草をくわえた高校生。にやと笑いながら、目の前を走り抜ける列車に手を振っている。列車の窓には14の短編小説が見える。