『保健室のアン・ウニョン先生』 チョン・セラン

 

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本 1)

 

 

私立M高校のアン・ウニョン先生は養護教諭であるが、ほかの人には見えない霊が見えてしまうシャーマンでもある。
若者たちの後ろにぽよぽよっとする妄想(ゼリー状に見える)も霊で、そういうのが漂っているのは健全でもある。
だけど、時には、得体のしれない悪いものが学校のなかにはびこることがある。教師たちにも学生たちにも、なぜか目に見える問題が起きやすくなるとき、それは案外、ある種の霊が活動した結果だったりする。
ウニョンは、そういう霊を取り除くために戦うのだ。おもちゃの剣とBB弾を武器にして。


と、書いているそばから、そういう話だっけなあ、と思ったりしてもいる。
ヒーローといえば、イメージとして、孤独、悲壮、使命感、という言葉が浮かび上がってくるのだが、ほんとうにそれでいいのだろうか。
そんなヒーローが現れたら、ウニョン先生はきっとこういう。
むしろ、自分ひとりで抱え込むこと事態が無茶なんじゃないの。いったん休んでまわりをみまわしてごらんよ、あなたのかわりがいない、なんて、どうして決められるのか、とたぶん、ウニョン先生は言うと思うのだ。
さあ、どうする、と前のめりで読んでいる読者としては、ときに、肩透かしを食ったような気持ちになるが、はっと我にかえって、そうだよね、と納得する清々しさ。


この学校の創始者も、ウニョン先生のようなシャーマンだったのかもしれない。
その昔「なにか」を地面の底に封印して、そのうえにM高校を建てたのだ。ここで、変なことが起こるのはそのせいかもしれない。
だけど、それなら、そんな危険な場所になぜ学校なんて建てたのだろう。実際、変な気の犠牲になった生徒たちもいる。


M高校に限らず、大勢が集まる場所なら、なんとなく、少し変な「気」がこごった場所ができても不思議じゃない気がする。
地面の下に何があろうとなかろうと……。


その一方、逆に、正のエネルギーもまたどんどん湧いてくる場所であるかもしれないのだ、学校は。
何しろ、ウニョン先生は、(シャーマンとしての)自分の気力を充電するために、若者たちの背中をちょいとさわって、ときどきエネルギーをわけてもらっているくらいだから。
だから……創始者が、この学校をここに作ったのも、若い正のエネルギーに賭けたのかもしれない。
ほら、「後からくるものたちはいつだって、ずっと賢いんだ」と、あの教師も言っていた。


創始者の孫にして漢文教師、「空気を読まない」インピョの存在が楽しい。ウニョンとからむとますます楽しい。