『わんぱく天国』 佐藤さとる

わんぱく天国

わんぱく天国


昭和十×年の横須賀。
子どもたちの遊び集団は、ガキ大将を中心にした縦型社会だ。
彼らは遊びに遊ぶ。彼らの四季が、小学三年生のカオルを中心に、生き生きと描かれる。
その遊び方やルールなども詳しく紹介されて、あそび図鑑にもなっている。


集団でする遊び、あるいは人数が多ければ多いほど盛り上がる遊びを、彼らは何日もかけて遊び倒す。
学校から帰ってくれば(もちろん各家庭のルールもあるし、手伝いなどもあったが)いつものあの場所に行けば仲間がいる、遊びが始まっている、という環境が羨ましいような気がする。
遊びながら子どもたちなりに少しずつルールに変更が加えられ、遊びはより一層豊かになっていく様子に、忘れかけていた子ども時代が蘇ってくる。
ああ、遊び方は違うけれど、そんな日々があったよなあ、と懐かしく思いだす。
駆け回る子どもたちの姿を追いかけるのは楽しい。見ているだけでわくわくしてしまう。ずっと彼らの時間をこのまま閉じ込めておけたらいいのに、と思う。
あるいは、遊びの続きをもっともっと読み続けていられたらよかったのに。いつまでも暮れない夏の日みたいに。


盛り上がる遊びはある日突然、ぱたっと終わるのだ。終わって次の遊びに変わっていくのが常であり、それもまたいいのだけれど、
最後の「一銭飛行機」から始まった彼らの大きな大きな夢は、二人のガキ大将を中心にして、大空に飛び立つ。
それは六年生のガキ大将たちにとっては、子ども時代の最後の壮大な遊びであったのだろう。
遊び切った夢を、子どもたちとともに爽やかに、でもちょっと名残惜しい気持ちで見送った。


昭和十×年の子どもたちである。
彼らの行く末が切ない。
最後のページの「あるとも。たった一度だけだがね」との言葉に、あの日の子どもたちの声が蘇る。
本当は、何十年後かに、みんな元気に集まって、あの日のことをさかなに盃をくみかわすことができたらよかったのに。