モーツァルトはおことわり

モーツァルトはおことわり

モーツァルトはおことわり


戦争が終わって、ナチスが滅び去って、さらに二十年たってもなお、心に嵌められた枷は消えない。
ナチスの残虐さは、芸術をも踏みにじる・・・


喜びをもたらすもの、心を解放させるもの…「音楽」からは、明るい言葉ばかりがイメージにあがってくる。
それなのに、音楽を憎まずにいられなくなるなんて。
楽家であり、バイオリニストである人が、バイオリンを壊し、二度と演奏しない、二度と聴かない(聞けない)と思うなんて。
少ない言葉で書かれている出来事と、書かれていない(書くことのできない)膨大な出来事の、あまりの酷さ。


人をゆすぶり動かすもの・・・芸術。
権力者は巧みに利用する。そういうことは、きっといつの時代でも、どんな場所でも、形を変えて起こりうるのだろう。
無垢な芸術に、別の思惑をかぶせようとすることが、どんなに野蛮で、汚い仕事であるか、思い知らされます。
(芸術は抵抗しないし、迎合もしない。ただ変わらない。変わらないから尊い。)


物語は人の思いもよらないほうに続きます。
音楽によって、心に氷のような枷を嵌められた人の、(音楽が悪いわけではない、音楽を利用した者が悪いのだが)
その枷を溶かしたものもまた、音楽の力だったことに、感動しないではいられません。
一番暗いときにも、一番美しいものが密かに準備されていたのかもしれません。


舞台は水の都ベニス。
運河に面した、世界に名だたる音楽家の部屋には、ミントティの香りが漂います。
辛い物語だったはずなのに、こんなにも美しく幸福な物語に終わるのは、やはりこれが音楽の物語だから、
とりわけて、モーツァルトの曲に関わる物語だから。