『人形つかいマリオのお話』 ラフィク・シャミ

 

人形つかいマリオのお話 (児童書)

人形つかいマリオのお話 (児童書)

 

人形つかいマリオは、あやつり人形たちといっしょに国じゅうを旅して、人形芝居を見せてまわっていた。
やがてマリオは人気者になり、同じお芝居ばかり繰り返すようになり、人形ちに話しかけることもやめてしまった。
同じ役ばかりに飽き飽きした人形たちは、ハサミで自分たちの糸を切ってしまった……


この本は、シリアの小さな町ダルアーの勇敢な子どもたち(学校の壁にアサド政権を批判する落書きをしたため、逮捕された15人の中学生)にささげられている。
巻末に、作者ラフィク・シャミの「日本の読者のみなさんへ」という解説があり、この物語に書いた三つのことについて語っている。
なかでも、一番重要な三つめのこと、として
「自由へのあこがれ、自分で自分の進む道を決めることの大切さ、そして、その責任を引き受ける勇気」
それから、「困難を乗りこえて自分の道を選ぶには、勇気だけでなく、ユーモアも必要です」
と書いている。
ダルアーの子どもたちに寄せる思いなのだ。
そして、これ、ダマスカスでの自身の少年時代を振り返って書いた物語『片手いっぱいの星』のテーマでもあると思うのだ。
ラフィク・シャミが愛する故郷の町の若者たちに伝えたい、祈りのような言葉にも思える。
そう思いながら物語を読めば、糸を切った人形たちの一途な思いに、胸がいっぱいになる。


人形たちが、飽き飽きするほど何度も演じてきた芝居の中で、マリオから与えられた名前は、ヤラナイ、シナイ、シタクナイ、モタナイ、ワラワナイ……。
どの名前もナイナイ尽くしだ。
自分で糸を切った人形たちが一番最初にしたことが自分の名前を変えることだった、というのがいいな。
ナニカシタイ、ヤッテル、モッテル、ワラッテル……なんてポジティブ! 名前を読み上げているだけでちょっとだけ楽しくなる感じなのだ。
さて、糸を切った人形たちはどうなったのか。
残されたマリオはどうなったのか。


物語には、マリオの人形芝居が、劇中劇のように挟み込まれていて、楽しい。
舞台の上からマリオが問いかける。
アストリッド・リンドグレーンと並んで、世界でいちばんおもしろい話を作るのは、だれでしょう」お客さんたちは笑って拍手するそうだ。「マリオ!」と。
マリオ、つまりは、ラフィク・シャミ!と思いながら、わたしも拍手する。
「いちばんおもしろい話」には、作者から実在するたくさんの子どもたちへの思い、祈りと希望とがこめられていると思うのだ。


もともとこの物語はお芝居のために書かれたもので、本として書き直されたのは(劇場に来られない友人からのリクエストで)ずっとずっと後だったそうだ。(訳者あとがきによる)
人形の役をした役者たちが、糸をつけて演じたという話に、どんなふうだったのだろう、とその舞台に想像を膨らませる。