『しあわせなときの地図』フラン・ヌニョ(文)/ズザンナ・セレイ(絵)

 

しあわせなときの地図

しあわせなときの地図

 

 

戦争のせいで、ソエは、生まれてから10年間ずっと暮らしてきた町を離れて、家族と一緒に外国に逃げなければならなくなった。
町を離れる前の晩、ソエは、町の地図を広げ、10年の間に楽しいことがあった場所にしるしをつけていく。
自分の家、学校、図書館、本屋さん……


ページを繰るたびに、現れる街のあちこちは、余白が多くて、茶色っぽい。人影がまばら。寂しい風景だと思う。
町も、そこに住む人も息をじっとひそめているような風景だ。
もう少し前(ソエがここで楽しく過ごしていたころ)ならば、色も余白も、そして、人物も、違って描かれただろう。町の同じ場所が、全く違う姿に見えただろうに。


ひそやかな画面の余白から、そこでの思い出が次々に浮かび上がってくる。
教室に並んで腰かけた生徒たち。たくさんの本が入った本棚。いろいろな動物がいる公園を自転車で駆けたこと。映画館の前で色とりどりの風船を売るおばさん。
いいことばかりじゃなかったはずで、言い忘れた「ごめんなさい」も「ありがとう」も数えきれないくらいあったに違いない。それらもそっくりそのまま、しあわせなとき、だったはずだ。
何のこともない日々の連なりが、寸断されることなく、これからも続いていく、と思えることは、しあわせだったのだ。


最後に、印をつけた町の地図から、ソエは、思いがけない発見をする。
わたしは、まるで町が、ソエの手をしっかり握って、ありがとう、と言ったように感じた。あるいは約束だよ、と言ったのかもしれない。
続いていたはずの昨日今日明日は残酷に寸断されてしまった。
残されていく町も、逃げていくソエたちも、これから先の日々、何が待ち受けていることか。
それでも、しるしのついた地図は、ソエを(そして町を)力づけ、守ってくれる小さな灯のように思える。