『炉辺の風おと』 梨木香歩

 

炉辺の風おと

炉辺の風おと

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2020/09/19
  • メディア: 単行本
 

 

八ヶ岳に山小屋を買うところから話は始まる。


庭先にやってくる鳥、動物、昆虫、茂る植物などのこと。人間以外のものについて、書かれた文章から見えてくるのは、私たち人間の暮らしぶりや社会のあり方だったりする。
心して訪ねてくる人以外、人の気配のない山のなかなのに、ここに、しっかりと人の社会が繋がっていることに、驚いてしまう。


そして、家。
このエッセイには、山小屋に始まって、いくつもの「家」が出てくる。
まず、更地になる寸前だった故M教授の家。庭の様子、間取りや、建て方から、(想像する)住人の暮らし向きまでも詳しく語られ、著者がこの家に、どんなに強く心惹かれたかわかる。いいや読んでいるこちらも魅せられずにはいられなかった。それなのに、梨木香歩さんは、この家を入手することを断念する。
「ひとの気配は残り香と同じで、なにかの折に甦ることはあっても永久に留まってはくれない」という言葉が心に残った。
それから、『家守奇譚』を育んだという古民家のこと。ある大工さんがぽつんと漏らした言葉が心に残るのだ。「この家、生きてますよ」 生きている、というのは……。
そして、実家のこと。


「家」の話からたちのぼってくるのは人の「気」かもしれない。
そこに住んだ人の生と死とが交ざり、何かの気配になって家に染み込んでいるようだ。
最初の章で、八ヶ岳の山小屋を手に入れる決心をしたとき、梨木香歩さんは、もとの持ち主の「死」を、まず感じていた。それは、(なくなった人の)「幸せな思い出がいっぱい詰まっている気配」だった。
この「幸せな思い出」という言葉が好きだ。
家が、亡くなった人の「幸せな思い出」をずっと覚えていてくれたらいいと思う。このあと、ここで暮らす人たちの「思い出」と一緒に。


表紙写真の「火」は、八ヶ岳に作った梨木香歩さんの暖炉の火だろうか。静かに安定して燃えている感じだ。見ていると、気持ちが安らいでくる。
だけど、火を熾し、安定した燃え方で火を維持(養生?)するのは、(特に初心者には)相当難しいらしいのだ。でも、この写真をただ見ている者は知らないことだ。
このエッセイは、この写真の火に似ていると思う。
やりきれないことや納得できないことを決してゆるがせにしてはいないのに、梨木香歩さんの文章は静かだ。
静かに火(熾してくださってありがとうございます)をみつめることは、梨木香歩さんの言われる「滞り」に似ていると思う。滞ることは、わるいことではない、という。
あちらとこちらが混ざりあう場所でもあると思う。(八ヶ岳の山荘は、「滞り」そのもののようだ。形ある「滞り」)
「ついでに自分の心にも、ミズナラを一本、育てたい。考えが暴走するのを食い止め、やがて澄んだ水の一滴を生み出すような」