『十五匹の犬』 アンドレ・アレクシス

 

 

アポロン神とヘルメス神が賭けをした。動物が人間と同じ知性をもったら、幸せになるのだろうか。
そして、たまたま、ある動物病院にいた15匹の犬が、いきなり人間と同じ知性を与えられる。これまでの記憶も、犬の習性もそのままで。彼らのうち一匹でも、死ぬ時に幸せだと感じるものがいるだろうか。


揃って動物病院のケージから出た犬たちは、それぞれ独自の一生を過ごして死んでいく。


彼ら共同体の厳格で残酷な上下関係など、むしろ、人間の社会そのもののように思えて、もしかしたら、わたしたち人間、いつのまにか、オリンポスの神々のいたずらで、犬たちの知性を与えられていたのかもしれない、と思えたくらいだ。
いいや、そんなことを言ったら犬に失礼か。
後にヘルメスはこんなふうにも言っている。
「われわれは、人間に犬の知性と器を与えるべきだったんだ」


ことに心に残る幾頭かの犬がいる。
ある犬は、自分がこれまでとは違ってしまったことを知ったとき、大きな危機を感じた。
「おれのなかの「犬」が死にかけている」「以前のやり方をすべてなくしたら、取り返しのつかないことになる」
そして、自分を犬たらしめているものが何なのか、考えるのだ。犬たらしめているもの。人間から見たら顔をそむけるようなことばかりなのだけれど、犬にとって、とても大切なこと。
けれども、以前通り、犬らしく生きたいと思えば思うほど、彼は犬らしくなくなっていくという皮肉。


一方、以前と違ってしまったことを受け入れて生きようとした犬たちもいる。
詩をつくる犬が現れた。
人と、対等な友情(主従関係ではなく)を築いた犬もいた。二人の関係が泣きたいくらいに美しいのだ。
どちらの犬のことも忘れられない。


そして、人間の知性をもちながら、犬としての記憶も、習性も手放さずにいる犬たちの小さなしぐさの一つ一つが、なんとも切なく愛しい。
また、人間の知性を与えられた十五匹を追っているうちに、時々、彼らの中にある別の次元の知性が、ひらっと見えるように感じ、その度に、はっと息をのむ思いだった。


犬たちは一生を終えたとき、幸せな死を迎えることができたのか。
幸・不幸に、「知性」は、どんなふうに関わるのか。
そもそも、幸せってどういうものなのだろう、と思いながら、最後に連れてこられた場所を見回している。