『カリブ海の秘密』 アガサ・クリスティー

 

 

今さらだけど、初対面の印象なんて当てにならないものね。
ミステリなら、虫も殺せなそうな、優しげな人が、実は凶悪な殺人鬼でびっくりした、なんて話はもう常識だ。
逆に、いけ好かないやつめ、狭量なごうつくばりめ、と思っていた人が、最後には、最も別れがたい大切な人になっていることもある。
この本でも……ああ、あの人とはもう二度と会うことはないのだろうなあ、と思うと、ことさらに、共有できたわずかな時間が名残惜しくなる。


さて、ミス・マーブルは元気だ。
療養のためにと、甥っ子に、カリブ海のリゾートホテルでの長期滞在をプレゼントされたのだけれど、早くも少々退屈しているところだった。あまりに平和すぎて。
ところが、ある朝、一人の滞在客が死体で発見される。病死で片付けられそうだったこの出来事に、ミス・マープルは、疑いをもつ。
これは殺人事件ではないか。亡くなるまえの日、故人と話したことや振舞い、表情をマープルは思い出していた。
マープルを退屈させるほどの、平和でひたすらに美しい風景のなかで、いったい何が始まったのだろうか。


穏やかで人のよさそうなおばあさんはその都度、会う人たちに、その第一印象を修正させる。
「あんたは強か者だ」
「気のいいふわふわしたおばあさんに見えていて、中身はそうじゃない」
見た目とのギャップが楽しい。マープルの心の若さが頼もしくて、嬉しくなってしまう。


巻末の解説(穂井田直美)で、「クリスティーは、ミス・マープルを通して、老いを迎えた女性について、ひとつの生き方を描こうとしたのではないか」と書かれていて、なるほど、そうか、と思う。
いろいろな老人が出てきたっけ。
老いるにつれて他人に辛辣になっていく人。
人の気持ちを省みず自分の若かった頃の思い出話を延々と繰り返す人。
では、わたしは、この先どんなふうに暮らしていこうか、いけるのかな。ミス・マープルにあやかりたいものだと思う。