『ぼくとベルさん』 フィリップ・ロイ

 

 

10歳のエディは、ほかのみんなが苦もなくできる文字の読み書きが苦手だった。ずっと隠していたけれど、とうとう両親にばれてしまった。
その後、両親も学校の先生も、クラスメイトたちまでも、エディに何かを期待することをやめてしまった。

エディは賢い子だった。優れた才能をたくさん持っていたのに、誰もそれを見ようとしなかった。
できないのは文字の読み書きだけだったのに。
エディは努力することをやめた。

興味があっても手を出す前に、おまえには無理だと、決めつける。
周囲の大人たちの偏見、差別は、エディへの愛情、善意から出ている。読んでいて、それが、悪意からきたものよりも、ずっと堪えた。
だけど、人をくもりのない眼で見ることって、なんて難しいのだろう。


エディは算数が得意だった。算数には決まった法則があって揺るがないからだ。
単語のつづりにも法則はあるけれども、あまりに例外が多すぎるのだ。多すぎて、どれが例外で、どれが法則なのかもわからなくなってしまう。
エディが単語のつづりと格闘しながら考えることを読みながら、こちらも考えてしまう。
言われてみれば、わたしもわからない。答えられない。そんなこと考えたことなかったような気がする。
簡単にできるようなったために、案外、気づくことなく置き去りにしてきたこと、たくさんあるのかもしれない。


ある時、発明王のベルさんが、エディと出会う。
ベルさんは、彼の中に哲学者がいるのをみつけて面白がり、対等の友だちとして敬意をもった。
ほかの人たちのような偏見はなかった。
きっと、それが、ベルさんがエディにした最上のことだった、と思う。
そして、数々の素晴らしいことの始まりがここだった、と思う。