『鏡は横にひび割れて』 アガサ・クリスティー

 

 

セント・メアリ・ミード村の、もとはバントリー大佐の邸宅だったゴシントン館を買い取ったのは映画女優マリーナ・グレッグだった。
マリーナ夫婦が越してきてすぐにこの館で催された野戦病院記念パーティーは大変な賑わいだった。そのパーティーで、マリーナ・グレッグと歓談中のヘザー・バドコックという女性が突然亡くなる。毒殺だった。
村の新住宅地に住むこの女性は、誰かから恨みを買うような性格ではなかったし、彼女が亡くなったからといって得をするような人間がいるとも思えなかった。
まずは、彼女は殺されるべくして殺されたのだろうか、というところから、物語は始まるのである。


真相を知ったとき、この物語がミステリかどうかなんて、どうでもよくなった。
やりきれない、いたたまれない思いでいっぱいの読後感だけれど、タイトル(テニスンの詩の一節だそうです)とともに、長く忘れないだろうと思う。


ところで、舞台となったゴシントン館といえば、『火曜クラブ』で、推理ゲーム(?)の会が催され、『書斎の死体』では、殺人事件にまきこまれる。そして、今度は、実際に人殺しの舞台になってしまった名館である。この館も、時の流れで、いろいろなこと(間取りや設備、そして住む人、暮らし方)が、すいぶん変わったものである。
そもそもセント・メアリ・ミード村そのものが変わった。牧草地だった場所が住宅街になり、家々の建築様式が変わり、人の姿が変わり、生活も変わってきていた。
それでもミス・マープルは言うのだ。「新世界も旧世界と同じ」と。見かけは変わっても、人々の話している内容はちっとも変わっていないと。


ミス・マープル自身も年をとり、思うように動けなくなってきた。けれども、村と同じ。中身はちっとも変わっていなかった。相変わらず冴え渡っているし、ここぞというときには、吃驚するくらい思い切った行動に出る。
変わりのないミス・マープルにほっとする。


ところで、マープルに24時間体制で付き従う「親切な」付添人ナイトがすごかった。
あれだけ頭脳明晰なマープルが、付添人の陽気な鈍感さにこんなにも手を焼くなんて。(その会話の噛み合わないことったら)
気の毒だけど、くすくす笑ってしまう。