『くらやみに、馬といる』 河田桟

f:id:kohitujipatapon:20210216132053j:plain くらやみに、馬といる

文と写真 河田桟

発行 カディブックス
2019年10月20日 初版第1版発行
ISBN 978-4-906900-02-2

著者は、与那国島で、与那国馬のカディと暮らしている。
カディが若馬だった頃、1か月ほど、疝痛で苦しんだことがあった。著者はカディに付き添い、夜も三時間ごとに様子を見に行った。
与那国馬たちは、森も草原もかかえた広い放牧地で暮らしている。
集落から離れているため、夜は本当に真っ暗になる森だ。
馬と暗闇にいると、おだやかなしみわたるような喜びを感じたという。
カディが回復した後も、著者は、くらやみを求めて、いつもより少し早い時間に森へ行くことにした。夜明け前の、夜が一番深い頃に。
この本には、この時間に著者が考えた事、思ったことが、書かれている。
章ごとにまとまっているようで一方とりとめがなくて、とりとめがないと思って読めば呼吸するような安定したリズムを感じて、読んでいるあいだ、とても気持ちがよかった。
著者と馬との暗闇を疑似体験させてもらっているようで、本のなかから立ち上る暗闇の豊かさに気持ちを委ねていた。


以前読んだカディの本『はしっこに、馬といる』には、「境界があいまいになる」という言葉が出てきた。馬と人、馬以外の誰かと人、人と人、との境界をあえてあいまいにしておくこと、すきまを大切にしながら暮らしていくことが、心に残ったものだ。
此方の本『くらやみに……』では、さらに境界がぼんやりしてきている。境界があいまいなのは、人と馬とのあいだだけではないから。


暗闇は、何も見えない……わけではない。時間が経つにしたがって見えてくる、暗闇だからこその色合い。輪郭があいまいだからこその豊かさ。暗闇だからこそ聞き分けられる音もある。「耳が開く」と著者はいう。
そして、くらやみのなかで考える、生きること、死ぬこと。異種の友だちのこと。言葉(ことに言葉にならずに抜け落ちていくものたち)のこと。


輪郭が変わると見え方が変わるものはたくさんある。
「ヒト同士の関わりではどうしても越えられない呪いのようなもの」も、たぶん、そうしたかかわりが、何もかも見えすぎる昼の光のなかにあるからかもしれない。
人に関わる問題、例えば、健常・障がいのこと、差別のことなども、昼よりも、暗闇で考え、話したほうがいいのかもしれない。


「ヒトの領域の外にも、豊かな感覚世界はある」という言葉が心に残る。