『パディントン発4時50分』 アガサ・クリスティー

 

 

先に出発した列車を、後発した列車が追い抜いて走っていく。その間、両者が並走するわずかな時間に、こちらの列車の客室から、あちらの列車の客室で殺人が行われるのを、目撃してしまう。
劇的な幕開けだった。
だれもが半信半疑で聞く目撃者の話だけれど、ミス・マープルは信じる。目撃者は、彼女の友人なのだ。
まずは、すぐに死体が発見されるはず、との予想を裏切って、いつまで待っても死体は出てこない……


マープルのシリーズ最初の『牧師館の殺人』で、牧師夫人グリゼルダのお腹の中にいた子は、今や青年である! いつのまにそんなに時間が過ぎてしまったのだろう。と、同時に、ミス・マープルがめっきり老いたようで寂しく感じた。
医師から、あれこれ禁じられている行動もあり、思うようには動けないのだという。
そこで、マープルの厚い交友録に驚かされるのだが、自分の分身として、白羽の矢をたてた人がいる。
ルーシー・アイルズバロウというこの女性、超高学歴で、専門を生かす道はいくらでもあるだろうに、そちらにはあっさり背を向けて、なんと家政婦になったのだ。一つの家庭に留まるのは長くても三週間。高給を要求するが、給料以上の仕事を楽しんでこなし、たっぷりの余暇をとる。働き方も人柄も、それはかっこいいのだ。
この人が、マープルの目、耳、手足となって「死体探し」のために、ある屋敷に入り込むのである。マープルには、ここで目的のものが必ずみつかる、ルーシーならうまくやるはず、との自信があった。


そして、お屋敷には、例によって大変際立った個性を発揮する裕福な当主と、ちょっとくせのある子どもたち。この家族は、「死体」と、いいや、そもそも列車のなかの出来事と、一体どんな関係があるのか。
犯人が誰なのかわからないだけではなく、被害者さえもわからない状態は、心許なくて、居心地が悪いものだ。


ルーシーは有能なだけではなくて、とても魅力的な女性である。
登場する男たち(最年長から最年少まで)が次々に彼女に夢中になるのだが、その口説きかたときたら。個性たっぷりの彼ら、あまりにそれぞれらしくて、なんともおかしい。