『子どもの道草』水月昭道

 

子どもの道くさ (居住福祉ブックレット)

子どもの道くさ (居住福祉ブックレット)

  • 作者:水月 昭道
  • 発売日: 2006/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

子どもの安全が脅かされる社会状況で、安全の確保は、何よりも優先されるべき、という主張は、完全に正しい、と言えるだろうか、と著者は問いかける。
たとえば、登下校の際の指定通学路など。
子どもの側からみたら、「安全(安心)」は、大人が欲しているものにすぎないのだ。子どものニーズにはマッチしない、という。
子どもにとって優先されるのは、安心安全ではなくて、発見、驚きという要素を伴った遊びであり、キイワードは、「楽しい」「面白い」なのだ。
……こどもの本音は黙殺されている。


子どもたちが遊びを成立させるためには三つの「間」が必要だという。時間、空間、仲間、だ。だけど、現在は、さまざまな制約があり、確保することが難しくなっている。
そうしたなかでの道くさは、貴重な時間、空間なのだ。これを取り上げることは、子どもの成長の機会を奪うことにさえなる。


このあと、子どもたちの道くさの状況が、ふんだんな写真とともに紹介されるが、これが本当に面白い。
道くさ、と一言で片付けてしまうけれど、いろいろなパターンがあり、さらに、そこから発展させた遊び(?)があり、読んでいるだけで楽しくて仕方がなかった。
ことに、大人にとっては無駄でしかないあれこれが。
昔の道くさと今の道くさでは、環境も変わってしまったせいで、いろいろ違うのだけれど、道くさの気持ち、というか、方向性というかは、ちっとも変わっていない。


自分が小学生だった頃の学校帰りの小さい大きい出会いや冒険(?)、仲間とわけあった秘密など、思い出した。
我が子も道くさして帰ってきた。時々、お土産に持ち帰った萎れかけの草花の束や、手のなかで息も絶え絶えのカエルなどを思い出す。通りの向こうから聞こえる子どもらの声に、間違いなく我が子の声が混ざっているのに、その声が一向に近づいて来なかったことなども。


だけど、確かに楽しいに違いないけれど、これはかなり危険だ、と思う道くさもあるのだ。
子どもの遊びをできるだけ削らないで、同時に安全もまた確保する方法はないものか。
著者はいくつかの提案をしている。
まずは、地域の大人たちが、「道くさはいけないことだ」という思いから解放されないと、と思う。