『木霊草霊(こだまくさだま)』 伊藤比呂美

 

木霊草霊

木霊草霊

  • 作者:伊藤 比呂美
  • 発売日: 2014/05/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

「二十一か月、植物の生き死にを考えつめた」という伊藤比呂美さんの、『図書』に連載したエッセイをまとめたものだ。
植物に関するエッセイであるし、取り上げられる植物の幅はとても広いのだけれど……伊藤比呂美さんというフィルターを通したら、どれもむんむんするほどのエネルギーを放ち始める。凄みがあるのだ。


南カリフォルニアの庭のゴクラクチョウカはずんずん育ち、やがて巨大になるだろう。
「遠くからでも目につくようになり、出て行っては帰ってくる私を、腕を広げて迎えてくれる」


荒野を転がっていく不思議な草タンブルウィードのこと。丘の斜面をタンブルウィードが這い上っていくのだ。
「牛や羊や馬の方が動きがなかった。草たちはせわしなく這い上っていった」


「死ととなりあわせのよう」というサボテンの生きざま。
「死は明るくてあっけらかんとしていた。死臭ですら、死肉を食べる動物たちを惹きつけるのだ」


猛々しくしげるクズは、そばを通ると、通る人に触れようと「向こうからしきりに蔓を伸ばして」くる。熊本の丈高く茂る草原で事件が起こり、やがて犯人がつかまるのだけれど、
「でも私には、クズがやったと思えてしかたがなかった」


近くの群生地からいくら庭に移植しようとしても一向に根付かなかった植物が、すっかり忘れたころ、庭で葉を広げているのをみつける。
「まるであの公園から、ゆっくりゆっくり歩いてきたような印象を持った。草が歩いてきた」


二千数百歳の巨木が子(種)を産む。寿命数十歳の人間は畏れ入る。


次々に現れる植物は、猛々しく生きていた。
一切ものを言わないのに、賑やかに喋っていた。
活発に活動していた。


植物たちの生命力に驚きつつ、一方で、一体どこまでを一つの命というべきなのだろう、と考える。
植物は殺しても死なないというが、それなら人だって、そうなのだ。
「私」が死んでも、人間そのものが死に絶えるわけではない。
植物的に言ったら、すでにこの世にいない人と、まだいる人とが繋がって、一つの大きな命のようにも思えてくる。