『みかづき』 森絵都

 

みかづき (集英社文庫)

みかづき (集英社文庫)

  • 作者:森 絵都
  • 発売日: 2018/11/20
  • メディア: 文庫
 

 

子どもたちが用務員室を大島教室と呼ぶようになったのは、用務員の大島吾郎が、放課後に「勉強がわからない」という子どもの勉強をみてくれていたからだ。
用務員室に通う子の親として吾郎の前に現れた赤坂千秋は、公教育への失望から、自らの理想の教育を目指し、塾を始めようと考えていた。
昭和36年。教育関係者でさえも、ジュクという言葉に馴染みがなかった時代である。
彼女は、吾郎を塾の共同経営者にと、強引に勧誘する。そして、二人は夫婦になる。
これが、千葉進塾の始まりで、この時から現代に至るまでの物語になる。


一つの塾の歴史は、その後巷にあふれた塾という業界の歴史であり、それを巡る社会の物語であり、なによりも、この国の教育と教育行政の変遷の物語なのだ。
わたしはちょうど吾郎たちの子どもの年代で、物語の中の教育も社会の移り変わりも、馴染みのあるものばかりだった。だけど、その意味や意義、問題など、初めて知ることが多かった。
教育って何なのだろう。誰のため、なんのためにあるのだろう。


同時に、これは、吾郎と千秋から始まった大島家三世代の物語、夫婦、親子の物語である。
高い理想を掲げ、そこに向かって邁進しようとするとき、その理想に敵対するものと激しく衝突する。
よかれと思う道は一つではない。わかっていても、混ざることも交わることも難しい道もある。


個性的な家族たちだ。
吾郎目線の物語を読んでいると、その人柄、子どもへの思いなどに惹かれずにいられないのだけれど、一方、千秋目線で読めば、今までこうだと思っていたものに、別の奥行きが現れて、ああと思う。
そして、子どもたち、孫の目線になり、それぞれの胸の内を知ることにより、物語は一層複雑になり深みを増していく。
確執は確かにあったのだけれど、でも胸の奥まで割って入って行けば、そこにあるのはただ相手への思いやり、敬意でさえあった。たとえ、交わらない道を歩くことになったとしても。


時代とともに変わっていく子どもの教育にずっと取り組んできた人たちの、公教育ではなくて、私塾だからこそできたこと、それもまだ道半ばであることに、わくわくする。
その一方で、読めば読むほどに、塾というくくりには限界があることや、その限界の外に置かれたものが気になってくる。
それが、まさか、このような形で、思っていた以上の形で広がり始めようとは。
体中が熱くなるような気持で読む最後の章は、あの始まりの昭和36年の用務員室に繋がっているようだった。
そして、タイトルになった「みかづき」の意味を知る。そのおおらかに開かれた空間。