『動く指』 アガサ・クリスティー

 

 

傷痍軍人ジェリー・バートンは、妹のジョアナとともに療養のために、静かな田舎町リムストックに家を借りて引っ越してきた。
今回は、このジェリーが語り手である。
のんびりした村で、のんびり過ごすつもりだったが、越してきてすぐに、匿名で書かれた手紙を受け取って驚く。根も葉もないスキャンダルを中傷する悪意に満ちた手紙だった。
このような手紙が、しばらく前から、村のあちこちの家に配達されているらしい。そのうち何か深刻な事件が起こるのではないか、と思っていたところに弁護士シミントンの夫人が死んでいるのがみつかる。


舞台は、ミス・マープルの住むセント・メアリ・ミード村ではないが、よく似た田舎町だ。
同じように、村の人たちが家の鍵をかけずに留守にするくらいに平和で、お互いの気心が知れている。一方で互いが見えすぎてしまい、誰もが詮索好きな暇人たちの餌食になることから逃れることができない、窮屈さがある。
ひとたび事件が起きたとき、それがより一層複雑怪奇な様相を帯びて一層深刻な事態になるのは、村中を飛び交う無責任な憶測と噂話のせいだ。
事件を解決するために、噂が貼り付けまくったレッテルを全部剥がして、事実を取りだそうとするのが警察の捜査方法であるなら、逆に、デマだらけの噂を大切に集めて、大量の偏見の隙間にある真実の欠片を見つけようとするのが、ミス・マープルのやり方なのだろう。ミス・マープルにかかると、顔を背けたいような屑が宝に変わるみたいで、おお、と思う。


とはいえ、今回はなかなかミス・マープルが登場しないので、焦る。もうあとほんの少しのページ数しか残っていないのに。もしかしたらミス・マープルなしで事件は解決しちゃうのか……
あの人が犯人じゃないのかな、ないのかな……
もし、そうじゃないなら、この残り少ないページ数で、何がわかるというのか……


この物語はミステリはもちろんミステリだけれど、ロマンスでもある。あちらこちらで、小さな恋が花咲いている。
語り手ジェリーは、物語の中で、自分が恋をしていることに気がつくが、彼の行動のひとつひとつが、過去のさまざまな恋愛小説のオマージュのようで、思わず微笑んでしまう。