森茉莉の『父の帽子』を読んだとき、まるで恋人の話をするように父を語るのだな、と思ったが、この本で、杏奴が語る父は、どこまでも父である。
父、森鴎外が亡くなったのが、杏奴13歳のときだった、ということもあるかもしれない。まだまだ父が必要だった。まだまだ父に甘えていたい歳であった。
著者は父を慕っていた。文豪、森鴎外ではなくて、ただ父を。
幼い頃は、夜、眠りにつくときには、布団の真ん中に横になった父の手を、弟と二人で両側から大切に抱えて眠った。
学校に通うようになると、毎朝、校門まで送ってくれる父と電車に乗るのが楽しみだった。
家族そろっての食卓を喜んでいた父、子どもたちの好物は手をつけずにそのまま、それぞれに譲ってくれたこと。
晩年、すっかり弱ってしまった父であっても、病床からいつでも微笑みかけてくれた。
死期が近づいているのに、元気そうに見える父にただ甘えるだけだったこと。
元気そうにみえるのに、ふとその後ろ姿や首筋に、「はかない、底気味の悪い気持ち」を感じていたこと。
遅く生まれた子であるからこその思いでもあるか、と切なく思うが……
父は優しい人だった。
けれども、本当は決して穏やかな人ではなかったそうだ。
姉の茉莉の婚家を訪れた際、婚家の老人が、ここぞとばかりに、孫に歌をうたってきかせるように、としきりに勧めていたことを、父鴎外は面白くなく思っていた。猿回しのような真似をさせて、と。
また、あるときは小銭を少しでも多く取ろうといろいろ画策する狡い小商人に腹をたてて「釣りはいらん」と大きな札を差しだしたこと。
父の姿を子はちゃんと見ていた。その時々の行為よりも、奥にある無言の姿勢をすくい取りながら。
甘やかされて育ったように見える子どもは、尊敬する父の無言の姿勢に育てられていたのかもしれない。
次から次に思い出される父との日々は鮮やかな絵のようだ。
森家の小さい姉弟の、無邪気で屈託ない暮らしが、父という光を受けてほの明るく浮かび上がってくる。おとぎ話の子どものように。
娘は、父に与えられたもの(早くに別れた寂しさ、後ろ楯をなくした心もとなさまでも含めて)を、成人してずっと後に振り返る。自分の現在の幸せは父から与えられたものであるという言葉が心に残った。