『うつくしい羽』 上村渉

 

 

うつくしい羽

うつくしい羽

  • 作者:上村渉
  • 発売日: 2020/12/06
  • メディア: 単行本
 

 

『うつくしい羽』
35歳を目前にした、という主人公、結婚生活が破綻して、職も失って、御殿場の祖母の家に戻ってきていたところをこだわりのフレンチレストランのホール担当として採用される。何が気に入ったのか、オーナーシェフに乞われての就職であった。


自分から望んで得た仕事ではなかった。
真面目に器用に仕事をこなしているけれど、行く行く、自分の店を持ちたいとか、この店で必要な人材になりたい、とは思わないのだ。
この仕事をずっと続けられるとも思っていない。
どうしてもこの店で働きたかった、あるいは、この店が最後の砦、という同僚たちに混ざって、どうなんだろう。
主人公は、図々しくて押しつけがましくて、わたしには苦手な人である。


でも、そういう彼が彼ならではのやり方で、何かをちょこっと動かす。そのちょこっと、が形を変えて、波紋のように広がる様を見ているのは楽しかった。


職場は、忙しいとはいえ、来る日も来る日もたいして変わったことが起こるわけではない。
だけど、読み終えたあとにやってくる充実感は、その「来る日も来る日も」の延長線上にある、と感じる。
来る日も来る日もが重なって重なって……


また、この充足感は、この物語がまるい輪になっているせいでもある。物語の始まりとおしまいが重なって閉じた輪になる。
勝手に予想してしまう。彼は、きっと食に携わる仕事から離れることはないだろう。そして……もしかしたら、将来、こだわりの「ぼたん鍋」の店を始めるかもしれない、なんて思う。


『あさぎり』
弁当屋を営む初老女性のもとに、職業体験記にやってきた中学生は、連日、昼食を持ってこなかった。


それぞれに問題をかかえた人たち(店主、店主の娘と孫、従業員、そして中学生)が、この小さな弁当屋に集まって、ぼんやりと明るい居場所を作っている。
疑似家族のようなこの不安定さと確かさとが、心に残る。
ここにおいで、と迎え入れ、場所を提供する店主自身が、実は、だれよりもこの空間を欲していたのかもしれなかった。


それぞれの胸の内は本当はわからない。もしかしたら、思っている以上の苦境にあえいでいるかもしれない。
いつか、あそこに明るい場所があった、今もあるのだ、あり続けるだろうと思いだせたら、少し救われる。