『ポアロのクリスマス』 アガサ・クリスティー

犯人は、巻頭の登場人物紹介(まったく、多くはない)の中にいるのだ。
手がかりは、物語のなかのあちこちにちゃんと書かれている。
それなのに、どうしてわからないのだろう。最後に暴かれたその人の名前に、思わず、ええっと声をあげてしまう。
だれが犯人でもおかしくはない、何が起こったとしても不思議ではない、そういう状況の中で、それでも、まさかそれはないでしょう、という真実が、まだまだあったということなのね……


クリスマスがやってくる。
遠く離れて暮らしている兄弟たち(その連れ合いや姪、旧友の子を含む)が、遠いところから、ぽつぽつと集まってくる。
病気で弱っている父から、招かれてやってきたのだ。
かなり変り者で、陰険で偏屈な父親だった。
多かれ少なかれ、父を恨んでもいた子どもたちだったが、クリスマスは、家族が和解するにはよい機会だと思って、ここに集まってきた。
しかし、クリスマスイブに、彼らはとんでもない贈り物を二度も受け取ることになる。
一度目は、兄弟たちが、このときに、父のもとに呼び寄せられた理由を知らされた時。そこに集った一人ひとりが、父から、酷く決めつけられて、この上ない侮辱の言葉を浴びせられたこと。
二度目は……その日のうちに、その父が惨殺されたことだ……


なんというクリスマスだろう。
登場人物の一人が言う。
「焼いた干しブドウを食べたり、すばらしいプラム・プディングをつくったり、それからユール・ロックなんてものがあって……」という、それが伝統的なイギリスのクリスマスの楽しみなのだろう。だけれども、もちろん、ここにはそういうものは一切出てこない。
あるのは血と疑心暗鬼ばかり。クリスマスという言葉は皮肉だろうか、と思う。


だけど、何もかもが終わってみれば、静かに本当の和解が始まっているのに気がつく。
来年のクリスマスには、きっと(ここではないどこかで)陽気で楽しいクリスマスが祝われることだろう。
故人のクリスマスプレゼント(もしかしたら、いささか意に反していたかもしれないけれど)がやっと届いたようなラストである。