『天使はポケットに何も持っていない』 ダン・ファンテ

 

天使はポケットに何も持っていない (Modern&Classic)
 

「俺」ことブルーノ・ダンテが、重症のアルコール依存とそのあげくの自殺未遂で入院するのは、これで三度目だ。
だけど、(「俺」のことが大嫌いで、自分たちの結婚を憎悪しきっている)妻のアグネスが病院に迎えに来たのは退院の二日前。
父ジョナサン・ダンテが病院のベッドの上で死にかけているという。アグネスとブルーノは、父の家のあるLAに飛ぶ。


ハチャメチャでどうしようもない主人公たちには、今までずいぶん出会ってきたけれど、ブルーノは、そのなかでもトップクラスと思う。
病床で意識のない父に、怖ろしくて会えないのだ。いつも父のことをこてんぱんにけなしているくせに。
アルコールが切れるとおかしくなる。一時的な正気を保つために彼が飲んでいるのは、普通じゃない、とんでもないワインなのだ。


家の敷地でひとりぽつんと父の帰りを待つブルテリアロッコを父に会わせてやりたい、と無理を通して病院に連れて行く。そのまま犬だけ置いて逃げ出すつもりで……
とても書けないような、書いてもきりがないようなあれやこれやの突発的悪行が、ここまでにどっさり出てきたけれど、まだまだ、これからである。
ああ、ああ、いったいそれでどうするの、と呆れながら、もう破れかぶれで笑ってしまおう。
「このとんでもない街と同じように、俺も内側から腐っていっている。とどのつまり、LAはまさに俺にうってつけの場所なのだ」


ブルーノ・ダンテは、作者ダン・ファンテ自身であり、物語は、ほとんど実話であるという。
巻頭の献辞にはいくつもの名前があるが、とりわけ父に捧げられている。「我が父、ジョン・ファンテに」と。
ジョン・ファンテ! びっくりした。ダン・ファンテはジョン・ファンテの息子か。
そんなことは思いもよらずにこの本を手に取ったのだけれど。
ずっと前に読んだ『満ちみてる生』 (ジョン・ファンテ)がふいに蘇ってきた。
新しい命を待つ、バカ騒ぎに近いくらい陽気で温かいあの物語から生まれてきたのが、この息子ダン・ファンテだったのだ。
そして、今、その息子は、父ジョン・ファンテの死を、この物語で、彼流に弔っている。この巡りあわせよ。
父は息子の誕生に、息子は父の死に、立ち会う自分を書いた。二冊の本は聖なるおまつりだ。そこに付随するたくさんの顛末は、お祭りの提灯だ。


さて、ブルーノは、父の死の床から、父の犬ロッコといっしょに逃げ出すが、ロッコはだんだん弱っていく。決して湿っぽい書き方ではないのに、死んでいく犬が、愛おしくてならなかった。
方法は滅茶苦茶だったとはいえロッコを介護し、その死を受け入れることは、ブルーノにとって、そのまま父を見送ることでもあったと思う。
彼らしい別れの儀式だったのだと思う。
自ら筆を折り、映画産業に身売りした父を悪しざまに書きながら、誰よりも父の文章を愛していた。父の仕事に敬意をもっていた。
そういうブルーノの、父への告別と、自身の長い再生の道への初めの一歩。
不器用すぎる主人公のために、その案内役を、一頭のブルテリアが勤めてくれた。そんな気がするのだ。
時期はクリスマス。温かい(もしかしたらそれほどきれいではない)LAの空に向かって深呼吸したくなった。