『樹木たちの知られざる生活:森林管理官が聴いた森の声』 ペーター・ヴォールレーベン

 

樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声

樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声

 

植物と自分たち人間とは、そのありようが、あまりにも違いすぎて、こちらに引き寄せて理解しようなんてことは、思いもしなかった。どちらも確かに生き物であるが。
だから、社会生活、友情とか、言葉とか、子育てとか……人ではなくて、樹木の間の話に、そういう言葉が出てくることに、最初は驚いたけれど……
長年、森林の管理に携わってきた著者によって書かれたエッセイ(になるのだろうか?)は、樹木たちの驚くような能力、生活を伝えてくれる。


たとえば、樹木間の友情。「友情」という言葉を使っているけれど、樹木のそれと人間のそれとは、かなり違っていると思う。形態は違っていても、言葉にするなら、やっぱり「友情」なのだろう。
最初に出てきた森の中の苔むした岩の話にまず驚かされる。
それは、苔に覆われた岩だと思われていたが、はるか昔(四百年から五百年の昔)に切られた大木の切り株だったそうだ。その切り株は、内がわに葉緑素を湛えて生きていたのだという。
数百年もの間、地面の下で、周囲の木々の根や、根の先を包む菌糸が、栄養の交換を手伝っていたのだという。
樹木たちは、根でつながりあったり、菌糸の助けを借りながら、栄養を糖分に替えて、隣近所に互いに送り合い、助け合う。
まるで土の中のバケツリレーみたいだ。
樹木たちが互いに協力しあうことは、それぞれがより生きやすくなるためでもある。木がひとりでいても森にはなれないのだから。


樹木たちは、それぞれの言葉を使って会話もしている。もちろん、私たちの言葉とは違うのだけれど。
私が森を歩くとき、広葉樹の森だと寛いだ気持ちになる。だけど、針葉樹の森ではそれほどでもないのは、こちらの好みの問題かな、と思ったけれど、どうやら、樹木側からのメッセージでもあるらしい。


樹木の時間はゆっくり流れる。(100年はあっという間) だから、私たち人間から見たら、ちっとも動いていないように見える。けれども、彼らは(もちろん動物のように動くことはできないけれど)かなり活動的なんじゃないか、と思えてくる。
歩けない木が子孫を残すために移動する話もおもしろかった。星野道夫さんの『旅する木』を思い出す。
長い長い、気の遠くなるほどの年月をかけて木々は旅をするのだ……


訳者あとがきの「森林は自動販売機ではない。樹木は人間に使われることを目的として、ただそこにあるのではない」という言葉、この本を読んでいると、本当に直に頷ける。
もう木々は物言わぬ木ではなくなっている。これまでとは別の親しみと敬意とが湧き上がってくる。