『杉の柩』 アガサ・クリスティー

「エリノア・キャサリーン・カーライル、あなたは、去る七月二十七日に起こったメアリイ・ジェラード殺害容疑にによって起訴されています。あなたは有罪を認めますか、無罪を申したてますか?」
これが、最初の一文。舞台は法廷だ。
エリノアの返答を見守る顔、顔、顔のなかには、ポアロの顔も見える……

 

そして、事ここに至るまでの物語・人間関係が語られる。丁寧に描かれる事件の経緯を見ていると、動機も、状況も、エリノアを指し示している。どうしたって、被告になっているエリノア以外に犯人は見当たらないのだ。

 

最初に、田舎町のお屋敷でエリノアの伯母が亡くなる。莫大な遺産を残して。
遺産を受け継いだのは、ただ一人の身内、ロンドン住まいのエリノアだった。
エリノアの義従兄弟で婚約者のロディーにも、
献身的に伯母に尽くした門番の娘メアリイ・ジェラードにも、
相当のものが遺されるのではないか、とだれもが思っていたが、そうではなかった。
伯母は遺言書を作成していなかったから。
そして、ロディーは、伯母の家で会ったメアリイに、一目で恋に落ちてしまった。

 

最初は、エリノアのことを、遺産目当て、口先だけの冷たい姪なんじゃないか、と疑っていたのだけれど(伯母の遺産を当てにしていたのは事実だ)
読めば読むほどにどんどん彼女のことが好きになってくる。
彼女の誇り高さが好きだ。
感じやすいが、その感情に流されない人だと思う。それが長所にも短所にもなるけれど。

一方、殺されたメアリイは、最初に登場したときから、控えめなかわいい人だった。多くの人が彼女を愛していた。
最初の法廷の場面が、彼女の殺人事件を扱っているわけだから、もう殺されることはわかっていたのだけれど、それでも、今、まさに命を落とす、という場面を読んでいる時に、浮かんできたのは、そんなばかな、という思いだった。たった二十一歳、やっと自分の人生を踏み出したばかりの彼女の死が残念でならなかった。

 

ポアロが聞く関係者たちの話は、エリノアについてもメアリイについても、その人物像は十人十色。本当に同一人物のことを話しているのか、と驚いてしまう。受け取り手の性格や立場で、人の印象って、ここまで変わるのか、と。

 

物語には、いくつもの恋が絡む。相手を思う、その思い方や気分はほんとうに多様で、どうしようもなくて……かわいらしい人たちだった。