『団地のコトリ』 八束澄子

 

団地のコトリ (teens’best selections 54)

団地のコトリ (teens’best selections 54)

  • 作者:八束 澄子
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: 単行本
 

 

美月は、団地で、保育士の母と二人暮らしだ。
中学三年生になり、部活のバレーボールで、はじめてセッターとしてレギュラーに選ばれた。
バレー漬けの毎日、練習は厳しかったけれど、楽しかった。
受験のことも、友だちのことも、そして、疲れているように見える母のことも、もろもろの不安が湧き上がってくるけれど、バレーにかまけて、とりあえず考えずに済ましていた。


いつもなら夢中で自転車を漕いで追いつこうとする友達の背中を見つけても、今日は距離を保ったまま追いかけることができないでいる事。
クラスメイトのブラウスの、いつものようにぱりっとアイロンのかかった襟もとを見ていたこと。
……気になるディテイルはたくさんある。
愛梨にも、かりんにも、紬にも、一年下のミキにも、それぞれに一冊分くらいの物語があるはずだが、そこに深く踏み込むことはない。
ただ、空気を感じる。それぞれの欠片が撚りあって、どんよりとした空気が纏いついてくる感じだ。
あるいは……やさしい彼らのやさしさの限界なのかもしれない。
踏み込まない、という。見たくないもの(見せたくないもの)を見ない(見せない)ですます、という。


見たくないものを見ないですましてきたせいで、そこにいるのにいないことになってしまっている人たちがいる。
居所不明、という肩書で呼ばれる人たち。
それから、団地の柴田のじっちゃんみたいに自ら扉を閉ざした人たち。
それは、美月たちだけではなくて、私たちの隣人たち、あるいは、明日の私たち自身であるかもしれない。


きっかけは逃げ出した小鳥を探しに行ったこと。そうして出会うことになったあの子、陽菜。
美月が、恐れていたこと、考えたくなかったことを、小さいからだで引き受けざるを得ない子。
自分で選ぶことのできなかった環境、限られた世界のなかで、生きるしかなかった子。
今の美月が抱えた漠然とした不安が、まるで形になって現れたみたいだった。


美月は少し変わったかもしれない。
美月が、ここから、自分自身の将来のことを考え始めることが心に残る。それがつまり、中学三年生としての美月から陽菜への、まず最大級の敬意でもあるように思えた。