『リンドグレーンの戦争日記』 アストリッド・リンドグレーン

 

リンドグレーンの戦争日記 1939-1945
 

 

1939年9月1日。「ああ! 今日、戦争が始まった」から、この日記は始まる。
そして、六年後、1945年まで律儀に続く。
だれかに読んでほしくて書いたのではない。リンドグレーンは、このとき、まだ作家ではなかった。ただ、「自分の考えと、何がおこるのかをはっきりさせるために書くことにしたのだ」とは、「まえがき」のシャスティン・エークマンの言葉だけれど、先ごろ読んだ『コロナの時代の僕ら』に似た言葉があったっけ、と思う。パオロ・ジョルダーノが、「文章を書くことにした」のは、「予兆を見守り、今回のすべてを考えるための理想的な方法を見つけるため」だった。


来る日も来る日も……
生活が、大揺れに揺れる海原の上にあったとしても、いえいえ、激しく揺れれば揺れるほどに、規則的な心臓の音、寄せて返すを続ける波の音を数えるような文章が必要なのかもしれない。


スウェーデンは中立を貫き、戦争に巻き込まれることがなかったし、(充分とはいえなくても、ほんとうには)飢えることはなかった。
国民が自国の政策を批判する自由もあった。
とはいっても(中立国であっても)戦争と無関係でいることなんてできなかった。
スカンジナビア半島は、ロシアとドイツに挟まれている。リンドグレーンは、もしどちらかに占領されるなら、ドイツのほうが「まだ」ましだ、と考えていた。
どちらも地獄。選ぶとしたら、どちらの地獄がいい?という感じ。
文章のなかに時々混じる皮肉なユーモア(「ちっちゃな愛すべきヒトラー」「大騒ぎのシラミのように暴れまわる日本軍」など)は、恐怖と絶望から自身を守るための方便であったと思う。


1940年の9月に書かれた一文は、ショックだった。
「……ここ数日考えているのだけれど、例えば平和な家の玄関近くにある「防空壕」と書かれた看板を見て、なんだか不自然だと思うような、そんな日が来るのだろうか」
わずか一年ちょっとで、戦争の風景が当たり前の日常になってしまうのか。


中立の国にいてさえこれなのだ。
中立を守るために犠牲にしなければならないものもあり、中立だからこそ周囲の国々を危険にさらし、中立だからこそ周囲の国々に差しのべられる手もある。
そもそも、この「中立」はいつまでもつのだろう。
精神的に追い詰められて、それでもまだ底ではないのだ、と思い知らされる日々。戦火を免れても、戦争のなかにいるってことは。


それでも、リンドグレーンは春を待ちわびる。春はくる。心の底から楽しむことなんてできなくても、その時にできる全力で、春の訪れの歓びを謳いあげるような文章が好きだ。


「戦争は終わる」「もうすぐ終わる」……繰り返される、そういう言葉を読んでいると、ああ、長いなあ、と思う。まだ、あと六年……五年、三年、これがまだ続く……
それでも、ほんとうに戦争は終わる。本当の春が来る。
長くつ下のピッピ』が生まれる。戦後が始まる。