『世界のまんなかの島 -わたしのオラーニ-』 クレア・A・二ヴォラ

 

世界のまんなかの島 ~わたしのオラーニ~

世界のまんなかの島 ~わたしのオラーニ~

 

 

アメリカから大西洋を越えて、イタリアへ。
イタリア本土から、夜、船に乗ると、夜明けにはサルデーニャ島に着く。
港から車に乗る。
いったいいつになったら着くんだろうと思うほど乗って、島のまんなか、山に囲まれたオラーニ村に到着する。
車が止まると、道の両側の家々から親戚の人たちが次々、迎えに出てくる。


「わたし」のお父さんが生まれたオラーニ村には、毎年家族そろって出かけたそうだ。
高い山のなだらかな斜面に広がった村全体を、ちょっと高いところから見下ろす見開きの絵は、とても美しい。
薄いクリーム色の壁と赤い屋根の家が広場を中心にして集まっている。
少し高いところに教会がみえる。集まった家々のまわりには小さな畑が見えるし、背の低い木々があちこちに枝を広げているのも見える。


いとこたちに「アメリカのこと、きかせて」と訊かれるけれど、「でも、ここのほうが ずっと楽しいわよ」と答える。
「わたし」には、それはほんとうのことだ。
かけていく「わたし」たちのあとについて、私は目で、石畳の道を走り抜ける。広場に出る。隣の家に赤ちゃんを見に行ったり、アイスクリームを食べにおじさんのカフェにいったり。運がよければ(?)お葬式や結婚式にも遭遇する。


細密な……というくらいに丁寧に描かれた村の通りを指で辿っている。
窓の外に干した大きな布の模様、家の中庭に干してある洗濯物、通りを逃げていく鶏たち。屋根に止まった鳥、馬に乗った人もいる。
小さな一つ一つの場面に物語があるはずだ。


「わたし」は、読者に、この村を案内するのが得意でしかたがないのだろう。
食事時、だれかのうちで、ふだんづかいのテーブルクロスをかけた食卓をかこむことも、
いつだってハエがいっぱいいること(青い格子縞の布巾の上には、まるで干しブドウのように!)さえも、きっと「わたし」には、得意で、喜びなのだ。


昔、田植えや稲刈りが終わると、近所の人やら親戚、子どもたちが集まって、わが家は(あるいは別の家も)それはそれは賑やかだった。
夜遅くまで、みんな大きな声でしゃべったり笑ったりして、子どもたちは、庭も廊下も部屋もつっきってばたばたと走り回っていた。
あのときの子どもたちも大人になった。あのばたばたした集まりが楽しかったよね、ああいう時があってよかったよね、と時には思ってくれたらいいな、と思う。
私は、すっかり静かになってしまった家のなかで、目が回りそうに忙しかったあれらの集まりがふと懐かしくなる。
あのころがきっと、私の--というよりも、この「家」にとってのオラーニなのだろう、と思う。