『ソフィーの世界』 ヨースタイン・ゴルデル

 

 

もうすぐ15歳の誕生日を迎えるソフィーのもとに、ある日、差出人不明の封書が届く。中身は、ひとこと「あなたはだれ?」
不思議な言葉に戸惑っていると、今度は、ヒルデという少女への誕生日カードが、ソフィー気付で届く。差出人はヒルデの父で、ソフィー宛にしておけば、このカードは間違いなく娘ヒルデのもとに届くから、と。でもソフィーは、この父娘に会ったこともないどころか、何処の誰かも知らないのだ。
そうこうするうちに、謎の「哲学の先生」から、ソフィーに宛てた不定期な手紙による哲学講座が始まる。


謎は謎のままに、ソフィーといっしょにわたしは、「いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ」という言葉から始まる哲学の講義を受ける。
神話の時代までさかのぼって、そこから歴史の流れに沿って、体系的に語られていく哲学史
難しくはないはずだ。もうすぐ15歳になるソフィーは、面白いと言っている。
だけど、正直、わたしには難しい。何度も同じところをぐるぐるして、眠くなり、これは私には無理、と投げ出そうか、と思った……


投げ出さないでよかった。
むしろ、投げ出すことができなかった。
これは、哲学の入門書であると同時に、ファンタジーであり、ミステリである。
哲学の地盤に立っての冒険なのだ。(ファンタジーでミステリで、哲学だなんて、すごい!)
なんだろう、なぜだろう、どういうことだろうと、あれこれ不思議で、ソフィーのあとをついていかずにはいられない。
そして、読めば読むほどに、ああ、これは、ほんとうになんてよくできた物語なのだろう、と舌を巻く。


全部わかったとはとても言えない。半分だってあやしい。だけど、気になるところにぽつぽつ付箋を貼りながら、読んでいくと、細かいところで迷子になっても、おぼろげに全体の姿が見えてくる。
そう思ったのは、最後の方で、哲学の先生が、
「きみはもう、ぼくたちの思考の歴史という背景を知っている。だから石ころと宝石の見分けもつくだろう。それができれば、人生の方向が見つけやすくなる」
と言ったときで、ああ、わたしはいつのまにか、こんなほうまで連れてきてもらっていた、と気がつくのだ。
そこから、もう一度「もくじ」を見直せば、第一章の章題が「エデンの園」だったことも思い出す。何の疑問も持たないで、ソフィーがそこで穏やかに暮らしている。それをわたしは穏やかに読んでいた。
それは、なんと平和で、なんと遠い過去なのだろう。
でも、そこにはもう戻れない。戻らなくていい、と思ったとき、「わからない、わからない」と思いながら読んできた、そのわからなさに、意味があるように思った。
わからない、と思うとき、感じるのは閉塞感だ。
そして、物語が向かう先にあるのは、この閉塞感からの解放だ。
そんなところまでいきつくことが、果たしてできるのか?


印象に残る言葉。
「ぼくたち自身がぼくたちの生の意味をつくっていかなくてはならない。実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ」
ソフィーが、ヒルデが、そして、わたしが聴いている。