『ヘディングはおもに頭で』 西崎憲

 

ヘディングはおもに頭で

ヘディングはおもに頭で

  • 作者:西崎 憲
  • 発売日: 2020/10/01
  • メディア: 単行本
 

  

松永おん。浪人二年めだが、勉強に身が入らない。アルバイトをしているが、仕事は好きではない。
彼がフットサルに惹かれ、スクールに通い始めたのは、ある美しいプレイを見たことがきっかけだった。
始めてわずか数か月。まだまだ初心者で、たいして上手ではないけれど、フットサルは、今のおんにとって、とても大きな関心事だ。
フットサルは、おんの日常のいろいろなことに繋がっている。

ゆるゆると語られる物語は、大きく盛り上がるわけではない。むしろ停滞している。
それは、おんの思いや暮らしかた、そのままだ。
だけど、ゆっくりと自分を語るおんの言葉は、ちょっと心地よい。ゆっくりだからかな。

おんは、自分に自信がもてない。
「人の事を気にしすぎて自信がないのだろう、自分が自分のことをわかってあげないとだめ」とはっきり指摘されたこともある。
そうなんだろうと思う。
相手によっては、そのために、彼にイライラするだろうし、あるいは、そのために、いい人だなあと思うかもしれない。

フットサルで、「壁パス」というプレイがあるそうだ。
複雑で、簡単に説明するのは難しいのだけれど、ほんのわずかな(秒単位の)未来に、そこに現れるはずの味方に向かって、現在誰もいない場所にパスを出すそうだ。
「壁パスが成功した場合、その成功はだし手と受け手がちょっと先の未来を共有したからということになる」
と、おんは言う。
それは、おんの撮る写真といっしょじゃないかな、と読んでいる私は思う。
おんは、高校時代、写真部だった。
おんは、「いま懐かしいものではなく、今後懐かしくなるはずのもの」ばかり、撮っていた。そのため、おんの写真は、「人から見たらそれはあんまりなんでもないもの」だった。
そうして、わたし、わかった。この本が心地良い、と思う理由はこれなんだ、と。

おんの眼差しは、目のまえにあるものを通して、まだ見えない未来のもやもやに向かう。
彼が出すパスは、未来(に、そこにいる自分)へのパスじゃないだろうか。
今はそこに何も見えなくても。
おんがフットサルを続ける理由でもあるんじゃないかと思う。

たいしたこともなく過ぎていく毎日。
それは、ほんの少しばかりの風が吹いたら、それを敏感に感じ取れるということでもあると思う。
少しの風に吹かれて、ああ、いい風だな、と思う。その「いい風」の心地良さは、結構あとあとまで続くのだ。