三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

 

 

『素朴な人』『聖ジュリアン伝』『ヘロディアス』、テイストの異なる三つの短編集。


『素朴な人』
三つの作品のなかで、一番好きだ。
主人公フェリシテは、半世紀の間、オ―バン夫人の家政婦だった。
彼女は、早くに両親を亡くして、子どものころから、あちこちで雇われ奉公をして生きてきたのだ。
どこにいても、不平も言わず、少ない賃金で休みも知らずによく働いた。
学もなく、賢くもなかったけれど、ひたすらに愛する人だった。主人の子ども、甥っ子、飼いならした鸚鵡。
彼女のつつましい暮らしから、先日読んだ『方丈記』の小さな庵の清々しさを思い出した。
まわりから、滑稽に思われたり、利用されたりもしたけれど、そんなこと、かまわなかったのだ。
大きな冒険をしたわけでもなく、何かを成し遂げたわけでもない。だけど、だからこその非凡な人生だと思う。


『聖ジュリアン伝』
民話のような物語だ。
領主の息子としてジュリアンが生まれたとき、父と母は、別々の予言をきく。どちらの予言も、息子が最後には大きな栄光に包まれるだろう、というものだった。
子どもは若者になり、狩りを覚えると、どんどん腕を上げ、天才的な狩り人になるが、ある日、彼の矢を受けた大鹿に、禍々しい呪いの言葉を聞かされる。
それ以後、心安らぐことはなくなるのだが……
不思議な予言、不思議な成就。
聖ジュリアンは、作者フローベールが子どもの頃通った教会のステンドグラスに描かれた聖人だったそうだ。
やがて、聖人に祀られることになるジュリアン、だが、その心を思うと……なんという残酷な生涯だっただろう。


『ヘロディアス』
ロディアスはサロメの母、四分封領主ヘロデ・アンティパスの妻だ。城の地下牢には預言者ヨナターンが繋がれている。
ロディアスが水面下で差配してきたあれこれの計略は、「いったいどうやって、いつのまに?」と驚かされることばかり。
サロメは、最初は名前も、身分も明かされなかった。ただ、遠目にちらりと二回、姿が垣間みえる。
その思わせぶりなこと。
踊り手としての彼女(と、そのうしろにいるもの)の存在感がくっきり際立つのは最後だが、オスカー・ワイルドサロメとはまったく別の、思いもかけなかった凄みを見せられた。