『スタイルズ荘の怪事件』 アガサ・クリスティー

 

 

クリスティを読もう、と思ったのは、少し前に読んだ杉みき子さんの『マンドレークの声』の影響だ。クリスティがらみのエッセイや言葉遊び(?)に、さっぱりついていけなかったからだ。
なにから読んだらいいだろう、と迷ったけれど、まずは、ここから。
だって、巻末の「解説」(数藤康雄)によれば、
「本書は、”ミステリの女王”アガサ・クリスティが初めて書いた記念すべき探偵小説」で、そのうえ、私立探偵エルキュール・ポアロの初登場作品でもある、というのだ。


語り手ヘイスティングズは、ポアロの友人である。後年、様々な理由により、この事件の全貌を記録しておくべき、との依頼を受けて、記したことになっている。
第一次大戦当時、ヘイスティングズは、傷病兵として帰国、退院後の療養のため、静かな田舎町のお屋敷スタイルズ荘に身を寄せていたが、その滞在中に、女主人イングルソープ夫人が毒殺される。
当時、イングルソープ夫人の計らいでこの町に滞在していた旧友ポアロに、事件の解明を依頼する。
蓋を開けてみれば、女主人の懐をあてにして暮らしている人ばかりの屋敷。だれが犯人でもおかしくないのだ。


さて、誰がどう見ても怪しい人物がいる。彼は犯人になりうるのか? もし、彼が犯人ではないとしたら、次にだれを疑うべきか?
この本の巻頭には、クリスティの孫でクリスティ財団の理事長マシュー・プリチャードの言葉が載っているが、そのなかにこんな一文が。
「一般にアガサ・クリスティーの読者は、いちばんそれらしくない人物を疑うようです。私はその逆をいってみました。いちばんそれらしい人物を疑い、それらしく見える人間がそんなことをするはずがないと読者を説得しようとするアガサ・クリスティの試みをたどろうとしました。……」
どんな道を通っても、どうしても作者の思惑に嵌ってしまいそうな気がするよ、と、まんまと騙された私は悔しいから言ってみる。
そうはいっても、作者の手の上であちらこちらと転がされるのは楽しかったし、何よりも、読後感のさわやかさがなんともうれしい。
痛ましい殺人事件が起こったのだ。犯人は、罪を免れようとあれこれの小細工をする。卑劣漢である。物語もずいぶんとひねくれた(凝った、ともいう)構成になっているじゃないか。
それなのに、読んでいるあいだも、どろどろした感じはなかった。そのうえ、こんなに気持ちのよい結末が待っているなんてね。ほーっと息をつきながら、これは、故人への最高の供養だよねと、思っている。


それにしても、このスタイルズ荘の広さ、豪華さよ。私の家が、そのまま最低四つくらいはこの邸のなかに楽に入ってしまいそうな広さなのだ。
二階の間取り図が載っていて、それを眺めるのが楽しかった。できれば、一階部分も見せてほしかった。庭も見せて欲しかった。