『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』 オタ・パヴェル

 

ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく

ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく

 

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川と釣りから振りかえる作者の人生。


釣りキチは、父親譲りなのだ。
彼は生涯(もくじでは、「幼年期」「むこうみずな青年期」「回帰」の章に分けられている)、ひたすら釣りまくるし、その釣り竿の先からは確かに彼の人生のあらましが読める。あっさりと書かれた言葉ほど、その影に隠された並々ならぬ苦悩を思わずにいられない。(始まりの幼少期に、まず父と二人の兄が、ナチス強制収容所に送られている。)
……のだけれど、それでは(それだけでは)ない。


エピローグで、壮年期の彼は、今までの人生で一番素晴らしかったことは何か、と考える。
「……ぼくは再び、小川や、川や、池や、ダム湖へと、魚を釣りに歩いていき、ぼくがこの世で体験したもののうち、それこそが、最も素晴らしいものだったのだ、と思った。」
「今では、もう、ぼくは知っている。人々は単に魚だけを求めて出かけて行くのではない。太古のように一人になりたがったり、さらに魚や動物の鳴き声を聞きたがったり、秋の落ち葉が落ちる音を聞きたがったりしているのだ」
ここまで読んできた物語の、さまざまな場面が蘇ってくる。愛おしい気持ちで反芻する。
時々、くすくす笑いをもらしてしまうほどのバカ騒ぎや、泣き笑いの表情が顔に張り付いたまま取れなくなってしまうほどの体験、思いがけない人の情けに気がついた事など、いちいち詳しく書かないけれど、この本(の旅)からもらった大切なお土産のように感じている。


そして、なぜ釣り。釣りの何に彼はこんなにも魅せられたのだろう、と振り返るとき、彼が求める豊かな孤独を思うのだ。
釣り竿を振る彼はいつでも、ひとり(孤独)だった。たとえ、まわりに何人もの人がいたとしても、やっぱり、釣り人はひとりなのだ。
その「ひとり」の充実を、わたしは読んでいたのだ、と思う。彼だけがもっているその輝ける充実した世界に、魅せられる。
彼が釣り(その環境すべて)から得ていた精神の自由にわたしは照らされる。
本はいい。わたしにもきっと、彼の川や釣りに相当するものがあるのではないか、と知らせてくれる。


「水辺にいてそのそばを川がめぐり、川向こうには森が広がり、そこでは雉がまた喜びに叫び、湿った土の中からミミズを掘り出して食べている」