『コピーボーイ』 ヴィンス・ヴォ―ター

 

コピーボーイ (STAMP BOOKS)

コピーボーイ (STAMP BOOKS)

 

 

『ペーパーボーイ』は、11歳だったヴィクターの一夏の物語、とりわけスピロさんと出会った夏だった。
あれから六年がすぎて……
続編『コピーボーイ』の始まりは、スピロさんの死亡広告だ。
亡くなったら遺灰をミシシッピ川の河口から撒くことを、ヴィクターは、生前のスピロさんと約束していた。
約束を果たす時が来てしまった。


今、ヴィクターは17歳だ。
吃音のために人と関わることを避けていた彼が、新聞社でコピーボーイとして働く事を楽しんでいる。九月になったら大学生だ。
なんて大きくなったのだろう。
彼は、しゃべりやすい最小限の言葉を選んでいるせいもあり、言葉を口に出す前に、じっくりと考えるくせがある。(一言一言が、彼の中、奥深いところから静かにやって来る感じ。)今も、これからのことをしっかりと考えている。
その彼をいつまでも子ども扱いするのが両親。ヴィクターは、一方的な親(ことに母)を前にして、11歳に戻ってしまったように感じる。
町のなかに広がりつつあるベトナム戦争の重たい空気と、ヴィクター自身のやりきれなさが混ざりあう。
だけど、今回は、おとなしく両親の決定に従うわけにはいかない。
ヴィクターは、書き置きをして旅に出る。
メンフィスからニューオーリンズへ、ニューオーリンズから岬の突端の町ヴェニスへ。
ロード小説、とも言えるかな。


一人旅なのに、道中、ずっとスピロさんがヴィクターといっしょに旅しているような感じだ。
迷った時には耳をすまして、過去から聞こえてくるスピロさんの言葉を探した。
何度も読んだ『老人と海』(嘗てスピロさんに贈られた)の中の様々な場面が旅の先々で蘇る。孤独な老人の言葉が、スピロさん本人の言葉とともにヴィクターを支える。
彼が過去に出会った大切な人(本も含む)の声が、ヴィクターの今をちゃんと支えているのだ。
静かな、声にならない対話の場面に、こちらの気持ちも鎮められるような気がする。


旅の先々で出会った人々、ヴィクターの目的に快く手を差しのべてくれた人々が心に残る。
彼らに共通するのは、その人といるとき、ヴィクターが自分の吃音を意識しないでいられることだろう。
吃音に気づかないふりをするのではなく、つっかかる言葉をそのまま受け入れてくれた人たち。
スピロさんがそうだったように。
そして、ヴィクター自身が、きっとそういう人だ。外皮に惑ったりしないのだ。
旅先でのヴィクターの、くつろいでいること、あけっぴろげなことに驚いている。吃音のことを気にしないで話すことができると、こんなふうなんだね。


ニューオーリンズヴェニス、それぞれの町が持つそれぞれの個性もおもしろかった。メンフィスから車で半日。こんなにも町の雰囲気が違うのか。
ケイジャンと呼ばれるフランス語を話す人々の慣習など、独特の文化が、時代とともに廃れていくことへの、町の人々の寂しさや諦めも心に残る。


「スピロさんの最後の願いは、じつはきみのためのものだったとは思わないか? 別れの贈り物だとは?」
物語のなかのある人物の言葉。
ああ、そうだったか、と思う。


ヴィクターは、どこへ行っても、初めての場所でも、帰り道を迷うことはない。
それは何かの役にたつだろうか、とスピロさんにきいたことがある。質問にはいつもの通り、質問で返された。
その意味が、読み終えた今はわかるような気がするのだ。


家に戻ったら、彼は立ち向かわなければならないことが沢山ある。旅先でも嵐に出会ったけれど、もう一つの嵐がやってくる。でも、きっとヴィクターは大丈夫。
懐しいマーム(ヴィクターを育ててくれた黒人メイド)のことも。先日『ヘルプ』を読み終えたばかりのせいで、マームが『ヘルプ』のメイドたちとだぶる。(ヴィクターとマームがこれからも大丈夫なら『ヘルプ』の彼女たちも、きっと大丈夫な気がする)


旅は終わる。出会った沢山の人びとも、沢山の出来事も、旅先に置いてヴィクターは帰っていく。
だけど、ほんとうには、置いてきたわけではないのだね。
そして、スピロさんのほんとうの贈り物を受け取る。
……ヴィクターとともに、この本を読み終えたわたしも。
贈られたものに胸がいっぱいになる。