『教団X』 中村文則

 

教団X (集英社文庫)

教団X (集英社文庫)

  • 作者:中村 文則
  • 発売日: 2017/06/22
  • メディア: 文庫
 

 

ある男が、失踪した恋人を探して、二つの教団にたどり着く。


片方は、公安に目をつけられているカルト教団「X」で、ものすごく簡単に言ってしまえば、そこは、つまり教祖・沢渡のハーレムみたいなものだ。
読んでいると、不快さにむかむかしてくる。ここがなぜ天国でありうるのだろう。地獄じゃないか。だけど、信者たちは恍惚として言う。ここにたどり着いたことが救いなのだと。
それぞれに幼い時からあまりにも過酷な経験を繰り返し、大人になった現在も、社会から弾きだされていると感じていた彼らだった。つけこむようなマインドコントロールが、恐ろしかった。


もう一つの教団は……教団、というのとはちょっと違う。その屋敷の当主・松尾の人柄に惹かれ、おのずと集まってきた人たちの集団である。


それぞれの教祖(?)沢渡と松尾は、ひと時、同じ場所に顔をそろえ、彼らの根幹には、同じ認識(?)がある。
たとえば、人間を構成するもの、とか、意識と脳の関係、とか、宗教とはどういうものであるか、とか……
そのうえにたって、それぞれは、まったく逆の方向に進んでいったのだ。そして、それぞれのことを、世界を(あるいは自分自身を)脅かす怪物のような存在として、意識してもいる。
読んでいるわたしにとって、陽の差す場所を想像させるような松尾の団体は、陰の世界にうごめくような沢渡の教団Xのいかがわしさを際立たせるように思える。


たくさんの人々が出てくる。いったいだれが主人公なのか、と思うが、中心になるのは、二つの教団に関わる、四人の男女。ある種の四角関係ともいえるか。四人、だれもがだれかをさがしている。だれかをさがしているようで、実はほかの何かをさがしているようでもある。誰かは、何かは、みつかるのか。


カルト教団の内部は、世界の常識と著しくずれている。カルトはその中にフィクションみたいな世界を発生させて生きてる」
読んでいると、カルト、そうか、と思いつつ、カルトって、もしかしたら、そんなに遠いところにあるわけではないんだ、と思えてくる。
このセリフのなかのカルト教団は小さい存在だ。比べるものがあるから、小さい、と感じる。もし、比べるものがものすごく大きかったら(世界、とか)、たとえば、小さい存在としての一国さえもが、そのままカルト教団にもなりうるのではないか。


松尾は、太平洋戦争を振り返ってこういう。
「この戦争を支えてきたのは、気持ちよさ、だった。お国のために死地へ向かう。軍人の敬礼。死して敵を討つ。犠牲の美。これらのナショナリズムには、気持ちのよさがある」
この「気持ちのよさ」、カルトに通じないだろうか。あれもこれも、全体主義とカルトはこんなにも似ている。カルトそのものかもしれない。


そして、教団のなかでは、何かが密やかに動き始めている。
カルト教団から、何かが、広い荒野にこぼれだしたような感じだ。
背中を逆なでするような声が、本のなか、あちこちから聞こえる。声はどんどん高くなってくる。
もう耳をふさぐこともできない。先へ先へ押し出されていく。
だけど、待って。
激しい声の間から、松尾の静かな声が流れてくる。
「無数の素粒子が、ゆらゆら揺らめいて、……物語をつくっていくんだよ」
「我々は我々の物語を生きるために生きている。無数の物語を、我々はこの世界に発生させ続けているのです」
耳を澄まそう……
それから、私の物語を確認しよう、私の物語がつくられているところを。そして、深呼吸。よし、とページの上にもう一度戻る。