『エレベーター』 ジェイソン・レナルズ

 

エレベーター

エレベーター

 

 

ショーンが撃ち殺された。
地面に横たわる彼は、家の外に放置された家具みたい、廃品みたいに見えた。
衣服に染み込んだ血はチョコレートシロップみたいに見えた。
張り巡らされたた立入禁止の黄色いテープはアート作品の額縁みたいに見えた。


短いセンテンスが詩になる。
詩が連なって物語になる。
余白の多いこの作品、その余白もまた詩になって語りかけてくる。ポジとネガとで手を組んで。


書いているのは、ショーンの弟ウィルだ。
最愛の兄を失った深い悲しみを、強引に引っこ抜かれた歯と、そのあとにできた空洞(あるべきものがもはや存在しない空洞)、その空洞をいつまでも舌で触りつづけてしまうことに例えて語る。ひと言ひと事が、読み手を刺してくる。


犯人はわかっている……
ショーンの拳銃を腰にさして、ウィルは早朝、下のホールへ向かうエレベーターに乗る。
銃など握ったことのないウィルが復讐を誓ったとき、恐れつつ着々とそちらに向かっていくとき、わたしは読むのが苦しかった。
短いセンテンスの連なりだから、あっという間に読めてしまうはずのこの本を何度、置いただろう。
ウィルの痛みが刃物になって、こちらに緊張を強いる。
「やめなよ」と本当は言いたいのに、彼の激しい意志の力に引きずられるようにして、このエレベーターに一緒に乗ってしまった。
くだっていくエレベーーターは、どこか暗いところに落ちていくようだ。


七階、六階、五階、四階……エレベーターが止まるごとに、だれかが乗ってくる。
だれもがウィルの知っている人たち。だれもが、銃で撃たれて、すでに亡くなった人たちだ。
ウィルとショーン、そしてエレベーターの乗客たちの物語は、彼らが暮らす社会のさむざむとした背景をも見せつける。
ギャング団、強盗、ヤクの売人、そのあいだには暴力がある。銃がある。
この町では、人が殺されることなど日常茶飯事なのだ。
警察が犯人をみつける(本気でみつける気があるのかどうか)よりも先に、犯人(あるいは犯人の周辺のだれか)が殺される。
誰かが殺されれば、その身内は、復讐のためにほかの誰かを殺す。
ときには間違えただれかが殺される。
ときには、単に巻き添えをくっただれかが命を落とす。
そういうことが当たり前で、掟で、そういう世界しか知らないで、少年たちは暮らしている。


身体を切り刻まれるような悲しみや悔しさ、怒りは、煙のように形のないものになり膨れ上がる。自分のなかでもちこたえられないほどに膨れ上がるのをどうしようもできない。
そのとき、人は、その膨れ上がったものを、何か(もっと単純な)形に変えたいと思うかもしれない。名づけ難いものに、(もっとわかりやすい)名を与えたいと思うかもしれない。
たとえば復讐……
物語は、そうした思いを受けとめながら、主人公を、読者をも、激しく揺さぶる。
最後には目的のホールに到着するが、扉を開けた瞬間に、待っていたのは……


巻頭の言葉も心に残る。
作者の経歴を知らなくても、その真心が伝わってくる。
「全国各地の少年院にいる、
 すべての少年少女に捧げる。
 ぼくが会ったことのある子も、ない子も、
 きみたちはみんな愛されている」