『雨の動物園 -私の博物誌』 舟崎克彦

 

雨の動物園―私の博物誌 (岩波少年文庫)

雨の動物園―私の博物誌 (岩波少年文庫)

  • 作者:舟崎 克彦
  • 発売日: 2007/09/14
  • メディア: 単行本
 

 ★

ヒキガエル、コウモリ、コジュケイ、犬、雲雀、カッコウ、モズ、ヤマガラモグラカルガモ、リス……
目次に並ぶ16の生き物の名前は、子どもだった著者の家の周りにいたり、自分で飼ったことのある、生き物たちだ。
終戦の年に生まれた著者が、子どもだったころ、東京池袋近郊は、こんなにも長閑で、様々な生き物たちがのびのびと暮らしていたのだった。
当時の生き物たちとの思い出を語りながら、これは作者の自伝になっているのだ。


ヒキガエルやトカゲなど、子どもにみつかってしまった生き物はあわれである。
大人の今だからこそ眉をしかめるものの、思いだせば、私も、小さな生き物たちに相当残酷な「いたずら」をしていたのだ。
「動いていたものが動かなくなる。私たちはそこに生きていることの意味のようなものを感じた。」


そんな著者が、ある日、コジュケイのヒナを追っているうちに、捕まえ損ねて逃げられてしまうが、その時、ほっと胸をなでおろしたという。
さんざん、小さな生き物を死なせてきた子であるのに。
「鳥の母子が自分たちの手でちりぢりにされてしまうのを見ていられなかったのだ」
作者は、当時七歳で、母をなくしたばかりだったのだ。
この後、作者の生き物との関わり方が変わってくる。


鳥が好きで、「鳥博士」と呼ばれることが自慢で、野鳥研究所の研究員になることが夢だった少年。
だけど、それが、次々に小鳥を飼う理由ではなかった。
この子は、きっと「寂しい」なんて言葉は周囲のだれにも言わなかっただろう。自分が寂しがっているなんて、自分だって認めたくなかったに違いない。
印象に残っているのは、彼を慕ってついてまわるカルガモの子の声を「さびしくてしょうがないんです。暗くって不安なんです。ほかの小鳥はみんな眠っちゃったし、ねえ、なんとかしてください」と聞いていたこと。
庭の禽舎で飼っていた小鳥たちをそれぞれ、父、兄、弟、従弟など、家族にみたてたりしていたが、そこには決して母がいなかったこと。


生きものを飼っていれば不慮の事故も起こる。不穏な影に驚くこともある。辛い別れも経験した。
身近に動物病院もなかったし、生きもののことで相談できる人もいなかった。子どもは、自分で調べ、探し、ときどき失敗し、切ない思いをしながらも、甲斐甲斐しく自分の手のなかの生き物を育てていた。その思い出の小さな一つ一つが尊くて、愛おしい。


やがて彼にもう一つの変化が訪れる。
「子どもから少年へ、少年からおとなへ」まるでそれぞれの時期を、脱皮するように脱ぎ捨てて大きくなる作者に、彼と関わった生き物たちは、次の時代への橋渡しをしているようだった。
東京も、高度成長という道を歩み始めたころである。
森が消えて、カッコウもリスも、アオバズクも、どこにいったのだろう。