『あかん男』 田辺聖子

 

あかん男 (角川文庫)

あかん男 (角川文庫)

 

 

昭和41年〜46年頃に書かれた七編が収録された短編集だ。
お見合い何回したとか、結婚せよのプレッシャーがあり、猛烈に仕事に打ち込もうとするサラリーマンたちがいて、働く女たちは「職場の花」的存在で、家長的な長男が老いた母親の行動にとやかく口を出し……
知っている時代だ。それどころか、すぐそこの昨日だったじゃないか。
それなのに、すごく遠く感じて、そんなだったんだなあ、と思っている。
この時から、いつのまにか半世紀がすぎている。


表題作以外でも、出てくる男は、それぞれあかん男ばかりだ。
あかん男があかん男のままでいるのは(いられるのは)一緒にいる人のおかげでもあるわけで、因果な二人組だよなあ、と思いつつ、そこで切り捨てられないのはなぜだろう。
お互いがお互いの底を知ってわりきっているような、ずぶずぶ、といえばそうなんだろうけど……
女たちのしたたかさが、あかん男と女自身とを支えている。
あかんところに、正面切って、というより斜め横の方向からちょろりと相手を出し抜いて、その一方で、ちらっとみせる柔らかさに、ちょっとほろっとする。


登場人物たちの会話が関西弁なのもいい。
リズミカルでテンポが良く、それでいて流れがゆったりめに思えるので、深刻な話も煮詰まった感じがしない。
肝心な所で、ちょっとだけ外して笑わせてくれるのもこの言葉だからできるのかもしれない。
標準語に翻訳できない言葉にこめられた心情(その言葉を使う人たち共通の)を推し量りながら読むのも楽しかった。(たとえば、「~しよる」の「よる」に籠る独特のニュアンスを表現できる助動詞が、共通語にはないのだそうだ)


好きなのは、『ことづて』のサヨ婆さんのかわいらしさだ。年齢関係なく、この人可愛いな、と思える可愛らしさは、颯爽としている。
年寄りに年相応を求める周囲の人びとには、歳に似合わぬ老いぼれぶりよ、と笑いたい。


それから『かげろうの女』
蜻蛉日記の、道綱母の物語である。後には、才女面した悪女とまで言われた彼女、なんて不器用で意地っ張りなのか。もうちょっとゆるゆる幸せに暮らすこともできたであろうに。
だけど、彼女が杖にするその意地を、プライドを、笑わない。笑わないどころか、清々しくて気持ちがいいのだ。
なんのいいこともないのだ。自らすすんで寂しくしているしかないのだ。それでも、やっぱり。