『戦場のコックたち』深緑野分

 

戦場のコックたち

戦場のコックたち

  • 作者:深緑 野分
  • 発売日: 2015/08/29
  • メディア: 単行本
 

 ★

……ミステリなのだ。事件が、続けて五件起こる。
事件だ、ということにさえ気がつかずに終わったかもしれないような、ささやかな出来事が。日常の謎、ね。謎は解けるし、犯人はみつかるけれど、その件については、できれば胸にしまって(できれば、黙って忘れて)あとは、そっとしておきたいような出来事ばかりだった。
それなのに、特別に忘れがたい、と思うのは、これらが戦場での出来事だからだ。


第二次世界大戦末期。合衆国陸軍は、死線をくぐり抜けて、ドイツへと迫っていく。
毎日人が死ぬ。昨日笑い合った仲間も今はいない。悲しむよりも、悔やむよりも、いなくなったのが自分ではなかったことに安堵してしまう。
殺すこと、奪うことに慣れて、どこかがマヒしていく。戦争神経症、という名前のもとに壊れていく。
来る日も来る日も……それが日常である。軍隊。
だから事件とも呼べないような事件なんか、さっさと忘れてしまえばいい。それが忘れられないのは、ささやかさに心動かす事情があるからだ。
ささやかさは、もしかしたら、大きな風のなかで、ひときわ心に残るのではないか。
いやいや、これらの事件が実は、ささやかに見えて、戦場の激しいやりとりとは別の戦争の一面を際立たせているからでもある。それは、できれば蓋をして、なかったことにしたいような、やりきれないようなドロドロ。(平時からずっとあった嫌なもの。戦争が絡むとこんな形になって見えてくるのか)


戦争は醜い。戦争は酷い。悲惨だ。
それでも、それでも……この物語を読みながら感じるのは清々しさだ。
性格も経歴も雑多な兵士たちの会話は、そこが戦場だということをときどき忘れさせた。みんな二十歳前後の若者たち。経歴も性格も違う。明日どうなるか分からない彼らだったけれど、今ここにいる。
彼らは笑っていた。
ある兵士がこういった。
「俺はとても楽しかった。相応しくない言葉かもしれないが……しかしお前たちといられて本当に楽しかったんだよ」
相応しくない言葉かもしれないけど、私は、彼らを追いかけながら、ほとんど美しい、と思うような瞬間をちょいちょいと感じていた。
そして、やはり相応しくない言葉かもしれないけど、この物語を読んでいる間、本当に本当に楽しかった。
主人公ティムが、自身食いしん坊であり、軍隊付きのコックであるということもある。限られた装備、限られた時間のなかで、いかにして食べさせるかは、毎度毎度の課題だった。食べることが、人を肉体的にも精神的にも満たしていく。
忘れられないのは、第三章で、死と腐臭のさなか、あり合わせを集めて、おびえる小さな女の子のために、ごく簡単に一人分の食事を作る場面である。その手許を見ていると、本当においしそうで、匂いまでしてきそうだった。


そして……だから、ティムは帰ってきたのではないか。
キッド(子ども)とあだ名をつけられるほどに幼顔で、「いい奴」といわれるほどに純情だったティム、料理以外は不器用で、お粗末な兵士でしかなかった彼、それから仲間たち。
ああ、帰ってきた者も、帰れなかった者も。
簡単に言うな、と言われるかもしれない。喪ったものはあまりに大きく、何もかもが元通り、というわけではなかったから。
それでも……。

ますます相応しくない言葉からもしれないが、『夜と霧』(フランクル)の「精神の自由」「豊かな内面」という言葉を思い出している。