『殺人者の記憶法』 キムヨンハ

 

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

  • 作者:キム ヨンハ
  • 出版社/メーカー: クオン
  • 発売日: 2017/10/30
  • メディア: 単行本
 

 

「俺」キム・ピョンスは、アルツハイマーにかかって記憶を失いつつある七十代の連続殺人犯である。(今は殺していない。)
最後に殺した女の子どもを、わが娘として慈しんで育ててきた。
ところが、今になって、新たに現れた連続殺人鬼に、最愛の娘が狙われていることに気がつくのだ。
彼は娘を守るため、最後の殺人を犯すことを決心する。
自分の記憶がすっかり駄目になってしまう前に。


彼は、日々、ますます失われていく記憶を留めておくために、記録する。
書き出し、録音するが、それを読み、聞いてさえ、思いだすことが困難になっている。
あわあわとした悲しみが、物語を覆う。
語る言葉は美しく、静謐であると感じる。
多くの人を殺してきた彼であるが、読書人、詩人、哲学者、と思う。
彼の記憶を通り過ぎてきた、その時代時代の人びとの群像が蘇る。
生きながら、すでに生から離れたところから、人生を俯瞰しているような、大きな諦観のようなものを感じる。
それから、愛娘への慈しみ。


未来の記憶、という言葉が出てきた。これからすることを記憶する、という意味だそうだ。
過去の記憶も未来の記憶も失いつつある彼はいう。
「永遠に現在にのみ留まることになる」と。
イメージするのは、左右の引き戸の間から見える景色だ。じっと見ていると、ゆっくりと左右の戸が真ん中に向かって閉まってきて、だんだん、視界が細く狭くなっていくような感じだ。


細い隙間から覗く景色(現在)だけが、彼のすべてになる。そのまわりは、まるで灰色の靄みたいだ。
靄の中にあるのは、過去と未来の記憶のはずだけれど、ときどき、靄が晴れるようにしてそれが見えてくるとき、くっつきあってはいけないものが、くっつきあって、何か怪しい姿になっていたりもするのではないか。
あるいはひとつことがいくつもの姿に重なって見えて、どれが本当だかわからなくなったりもする。
でも、思う。まるで霧のなかにぼんやりと浮かび上がってくる、島々の突端のようなその記憶の片鱗(なれの果て?)は、もしかしたら、記憶とは別の、心の疼きのあらわれでもあっただろうか。
記憶を失ってなお残る感情に、形を与えられたのではなかったか……


語り手は、最初から「信頼できない語り手」なのだ。読者にとって信頼できないだけでなく、語り手自身にとっても信頼できない、という……。
それを承知して読んでいるのだけれど、翻弄される。靄のなかをひっぱりまわされる。
信頼できないのは、語り手だけではなくて、周囲の人間たちも、ではないか。
今、私はどこに連れてこられたのだろう。
ここでみているものはなんなのだろう。


記憶ってとても個人的なものだ。そして、変容する(認知症であってもなくても)
完璧な形で保存なんてできない。
そんな、どうしようもないあやふやなものであるのに、それが消えてしまったら、こんなところに沈んでいくのか、と、とらえどころのない灰色のなかで感じている。