『茗荷谷の猫』木内昇

 

茗荷谷の猫

茗荷谷の猫

  • 作者:木内 昇
  • 発売日: 2008/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 ★

 

九つの連作短編。
連作、といっても、時代も違う、舞台も違う。主人公も違う。それぞれ独立した作品で、初めは連作だなんて思わなかった。
だけど、読んでいるうちに、おや、と思う。


まずは、舞台になる九つの町は、都内のわりと近所で、共通する雰囲気がある。時の流れが緩やかに感じる、情緒ある下町なのだ。
読んでいる間、感じていた潤いは、たぶん、この町の佇まいのせいだ。


そして時代。一作目の幕末の物語に始まり、九つの作品の中の時間は、現代に向かって流れている。最後の作品は、ほぼ現代の物語になっている。


九つの物語の主人公たちは、物語の中で、さまざまな生き方をしている。性格も境遇も、みな違う。でも、今も(いつの時代でも)どこかの町の片隅に、こんな人がひっそりと暮らしているに違いない、と思うのだ。


九人の主人公たちには、一途で強いあこがれ、こだわりがある。それは必ずしも実を結ばない。
だけど、どこかに別の眼差しがあったら、「ほら、そこに実っているじゃないか。それはあなたの実ではないか」といってくれることもあるかもしれない。
それは、思ったような実ではない。そんな実がなることは、皮肉だ、残酷だ、と思うこともあれば、やるせない、切ないと思うこともある。
妖怪じみた不気味さにぞっとしたりもする。
ともあれ、はっとするようなその、思いがけない実、(作中のある人物の言葉を借りれば、)鮮やかですな、と思う。鮮やかなのだ。


一つの物語のなかで、ほかの作品に現れたあの場所や、あの人の噂が、風の便りというような風情で、聞こえてくる。
あ、そうだったのか、と驚いたり、くすっと笑ったり、ただ、ああ、と思ったり。
九つの物語は、九つにみえて、ひとつの物語なのだ。


物語には、さまざまな文学者たちの姿や、作品の一節が、登場して、物語に大きく色を添えるのも楽しい。田山花袋泉鏡花、内田百閒、江戸川乱歩中原中也……気がつけば、さりげなく読書案内をしてもらっていた。


読み終えた今、別れ難い人が、たくさんいる。
みな、すでに過去の人たちだ。ほとんどの人たちが人生を終えている。
その後は、どこでどうしていたのだろうと気になる。(知りたいけれど、やはり知りたくない)
そして、目に浮かぶのはさまざまな色。人が去ってもなお残る色。
とりわけて染井吉野の薄桃色。柘榴の実の透き通ったルビー色。
鮮やかですな。鮮やかですな……